飲み物について

実家で暮らしていたときは水分補給の8割を母お手製の麦茶でまかなっていた。麦茶といえば、日本人の冷蔵庫内液体トップシェアを誇るどこの家庭にもある飲み物だろう。麦茶の良いところはその存在感の無さだと思う。食事の時は食卓の主役たちの邪魔をせず、喉が渇いているときは無理なく一気に飲める。麦茶は喉壁面摩擦抵抗が極端に小さくなる物質らしい。しかし、麦茶好きはあまりきかない少数派であることは事実で、麦茶はお茶界の影の王者なのかもしれない。


実家を離れればお茶製造担当の母がいなくなるわけだから、麦茶が飲みたければ自分で作るしかない。しかし、先にも言った通り麦茶が好きかと聞かれれば好きでもない。お茶を沸かすのはキッチンに立たねばねらぬし、いささか面倒だ。さて、どうしよう、と考えた時にひとつ気づいたことがある。

 

僕は別に麦茶が飲みたくて飲んでいたわけではなく、麦茶がそこにあり、水分補給として一番手っ取り早かったからだ、と。水でも良くないか、と。なんなら、水の方が味の主張がなく、理想的ではないか、と。

 

そういうわけで、僕の水分補給の9割は水になった。
大抵、僕のカバンの中には、いろはすクリスタルガイザーが身を潜めている。たまに、アルプスの天然水。

明確にこれが飲みたい、となって飲み物を飲むとき以外、つまり、純粋な水分補給では水で十分足りると思う。

 

たまには、清涼飲料水を飲みたくなる時もある。しかし、もっぱらコカ・コーラだ。しかも、ゼロ。赤コーラは黒コーラが無かったときの妥協策でしか飲まない。
黒コーラ派が僕の周りに圧倒的に少ないのは不思議で仕様がない。人工甘味料の味が苦手なのだろうか。踏み込んで議論していないので詳しいことは知らない。
僕から言わせてもらえば、赤コーラは甘過ぎる。甘いものは大好きだが、清涼飲料水の甘さは好きじゃない。甘さそのものではなく、口に含み喉を通ったあとも、口のなかに残る甘さとねっちょりした感じが嫌いだ。飲んだらうがいしたくなる。それに比べ黒コーラはスッキリしてるのがいい。
それと、黒コーラの方が炭酸も強い(気がする)。赤コーラが砂糖水に炭酸を加えてできたものなら、黒コーラは炭酸水に人工甘味料を加えてできたもの、みたいな感じ。

 

コーラと似て非なる黒い悪魔的な液体がこの世にもう1つある。コーヒーだ。コーヒーなしではもう生きられない身体になってしまった。
どちらも好きとなるとただのカフェイン中毒者なのかもしれない。

インド旅行について(入国編)

「デリーの現在の気温は30℃になります。日本との寒暖差で体調を崩さぬようご注意ください。」


暑さより寒さの方が苦手な僕からしたらインドの旅が快適になってくれそうな報告でもあった。何よりさっきまで2月の寒い日本にいたのだから寒さに困らされないのは嬉しい。よく聞きなれた画一化されたCAの機内アナウンスでとうとうインドに降り立ったことを実感する。CAの声は誰もが同じ様に聞こえてしまう。CA声色選別選手権があるとすれば僕はどうも1回戦敗退してしまいそうだ。

成田空港経由のデリー着だっため、乗客のほとんどが日本人、CAとも日本語で会話できたため、フライト中は異国の地へ向かっている実感というものはほとんどなかった。

日本デリー間、約11時間。半分以上を寝て過ごした。というのも、前日になって荷造りを初め深夜までかかり、搭乗当日は4時起きとほとんど寝れていなかったためである。前日ギリギリまで荷物の用意をしなかったのは僕の、後に後に症候群のせいもあるが、バックパッカーのバイブルとも言える『地球の歩き方』のせいで精神的余裕があったのも事実である。地球の歩き方曰く、「インドの旅に必要なのは健康的な体と前向きな心である、他のものは何でも現地で手に入る。再度言う、その二つさえあれば足りる」と。なるほど、そこまで言うなら大丈夫であろう、と思い、出国前日まで健康的な身体と精神を養うのに精一杯で物質的持ち物の用意はほったらかしにしていた。しかし、前日から荷造りを初めても意外と出来てしまうものである。


機内を出て、空港までの連絡通路を歩いてみると確かに寒くない。UNIQLOで購入したダウンジャケットもこの時には必要なくなった。

空港内に入るとインド人が歩いているではないか。それもたくさん。前にもインド人。横にもインド人。後ろにも。そこではもう日本人というよりかはマイノリティとして存在することになった。デリー空港は綺麗でトイレもトイレットペーパー完備でインドの玄関口として十分な機能を果たしていた。空港事態にインドらしさというものはなく、闊歩するインド人をすべて日本人に変えてしまえば成田の国際ターミナルと言われても疑わないくらいには整っていた。


さて、いざ入国審査を済ませて旅がスタートとなると思いきや、僕はひとつミスをおかしていて、スムーズには入国できなかったのである。そう、VISAの問題だ。ここでまた後に後に症候群が祟った。事前申告のVISAは2種類あり、ひとつは日本国内のインド大使館およびインド領事館にて取得するもの。もうひとつは短期間滞在者に限りネット申請ができるeVISAがある。一緒にインドに来てくれた旅の道連れ酒井は事前にeVISAで取得済なのでスムーズに入国審査完了。一方の僕は期限当日(入国4日前)に申請し、本来ならば申請完了後にくるはずのメールが来なかった。これはまさかと思いつつ出国前日になってもVISAの確認メールが届かない。ということで、VISA未取得のままインドの地を踏むことになってしまったのである。とはいっても、もうひとつ日本人限定でアライバルVISAという空港内で始めから最後までできてしまうVISAがありそのおかげで強制送還されることなく難無きを得た。申請の間、小一時間ほど酒井を待たせてしまって申し訳なく思いつつ、無事ディープな世界の表層にまでは足を踏み入れることができた。


1日目のホテルだけは予約してあったので、まずやることはホテルへ向かうことだった。
到着が夕刻ということもありホテルについて明日に向けて寝るという1日目は簡単質素なスケジュールになるはずであった。しかし、旅には不確定要素が付き物である、とはよく言ったもので、今回の旅もそううまくはことは運ばなかった。


僕らの旅は大まかな都市の目的地だけ決めてどこをどう観光するかはその場もしくは前日にでも決めようという至極適当旅でプランをたてていた。なので、1日目の宿の場所は決めてあっても、電車でいくのかバスでいくのか、はたまたトゥクトゥク(ミニタクシーのようなもの)でいくのか、その場で決めなければならなかった。空港内を少し散策してメトロの文字が見えたので僕らはメトロで宿のあるニューデリーへ向かうことにした。空港のすぐ外も別に共通認識で持っているようなインド感は全くなく、なんのカルチャーショックも受けることなくメトロの駅へとついてしまった。インドのメトロも日本と同様エスカレーターを降りて行きチケットを買いプラットホームで待つという具合だ。改札もしっかりある。ただひとつ違ったのがチケットが紙ではなくコイン型だということだ。ロサンゼルスに赴いた際もコイン型であったことを思いだし、世界的に見れば日本の紙型チケットの方が珍しいのかもしれない。メトロ車内は衛生的で日本と遜色なかった。

揺られること30分、僕たちはニューデリーに到着した。コイン型チケットを改札に投入し、いざ地上に出てみるとそこには僕の頭の中にあるインド像がそのまま僕らを出迎えてくれた。ぶつかるギリギリを行き交うトゥクトゥクやタクシー、鳴りやまないクラクション、路上に捨てられたスナック菓子の袋、ペットボトル、タバコ。そして人の多さ。それらは日本人からしたら異色の光景であるにも関わらず、どれもがそうあることがこの世界では正常なんだと主張しているようでもあった。交通整理が完璧なインド、ゴミが散乱してないインド、ミミズクの鳴き声が夜にこだまするインド、人通りの少ない閑静なインド、そんなものはないのだ。色々な雑踏が共鳴しあって目の前にひとつのインドという光景を作り上げていた。そして僕らはその雑踏の中へ、異分子としてその濃い空間の中へ足を踏み入れていった。


優しく話しかけてくるインド人には気をつけろ信用するな、現地人で観光客に気安く話しかけてくるやつはいない。どの観光ガイドブックにも載っている常套句である。僕も何度も聞かされて頭ではわかっているはずだった。しかし、世の中のすべての物事に言えることだが理論の理解と実践とは全くの別物である。旅の1日目からそれを痛感させられることになる。

失恋について

世界が終わり、何に対しても意欲がわかず、食欲もなくなり、自分の存在意義まで疑うようになる。


失恋って大変ですよね。人にも依るだろうけど。

 

失恋耐性が低いというその人の性質的な問題もあれば、お互いの関係の深さが影響する状況的な問題の場合もある。

恋愛に注いだエネルギーに比例して失恋時のダメージも大きくなるなんて納得できない、しっかりと恋愛した分だけ失恋時のダメージも緩和されるように世の中出来ていれば生きやすいのに。

僕は経験上、失恋耐性最低の女々しい男なので立ち直りも遅い。高校生の頃に、ちょうど別れた恋人から「『女々しくて』を聞くとあなたを思い出すわ」と言われたことがある。

経験上は、であって次回の失恋があれとすれば(ないことを願うが)前よりは上手く軌道修正できると思う、どんとこい。

最新の失恋では本当に死にかけていたので、これを次に活かさない手はない、また将来死にかけるのは嫌だ、ということであれこれ棺桶に片足を突っ込みながら試行錯誤して立ち直り策を練っていたからだ。

 

常套句として「時間が忘れさせてくれる」というのがあるが、そんなの当たり前のことで、当事者からしたら、その堪え忍ぶ苦痛の時間をどうにかしたいのだ。心の負債をさっさと返済して軽やかになりたいのだ。

ただ、夏が終われば秋が来るように、時間が立てば心も回復するということを認識しておくことは大事なことだと思う。

 

さて、齢23で失恋経験2回のひよっこが失恋の束縛から逃れるための手立てを紹介していこう。

 

※効用には個人差があります

 

まず、お友だちと話そう。人と会いたくなくても無理やり会って、恥ずかしくてもお話しをしよう、毒抜きのつもりで。

話すことで自分の悪かったところ、相手の悪かったところが色々見えてくるはず。普段上手くいってるときには見えてこない、見ないようにしてた欠点が認識できる。このプロセスってとても大事だと思う、次の恋愛に活かせるから。

勉強でも復習って大事でしょ。

あと、一人でいると否が応でも色々考えちゃうから誰かといた方がいい。

 

そして、元恋人とは一切の連絡を絶とう。

SNSでも目に入らないようにする。

相手が自分のことを嫌ってなくても。

回復への最短経路をとおせんぼしてくるから。

元恋人のことを考えてしまうトリガーを生活から極力排除する努力を。

 

一番大事なのは自分の感情を客観的に見てみることかと。

なぜ、こんなしんどくなっているのか、何故、相手に拘っているのか、理由が分かれば意外と楽になる。

僕の場合は、相手を心の拠り所にして、相手の中に僕の存在意義を見いだしていたことだった。いつかの文章でも書いたが、心の拠り所にしていたものが急になくなれば脆くなる。

 

失恋して憂鬱になってるのは大抵がその相手に拘っているからだと思う(僕経験)。過去の、自分のことを好いてくれてた影を捨てられてないだけ。別れた後のお相手は自分のことをもう好きではないということを反芻して受け入れる作業が必要だと思う。

さっきも言ったように、ここで未だに連絡とっていると意志が揺らぐから跡形もなく生活から排除すべき。

客観視してみれば、相手に拘る必要がないことも分かるはず。相手が特別存在なのは一緒に過ごしてきた時間がそうさせているのであって、性格的にもっと合う人が他にもいるはずだし、容姿ももっと好みの人が必ず他に存在するはずだ。絶対にガッキーの方が可愛いでしょ。

 

過去に積み上げてきたものに拘るのはよそう。

 

あとは、運動したり美味しいもの食べてエンドルフィンどばどば出しとけばきっと大丈夫。そして、次の恋を見つければいい。

 

失恋した直後は胸に大きな穴が空いて世界も終わりのように感じるけど、恋愛は人生のオプションでしかないということをしっかりと認識して、恋愛至上主義を脱する。世界には他にも楽しいことだらけだから。

眼鏡女子の魅力について

 俗に言う、メガネ萌えというやつだ。眼鏡は正義でコンタクトレンズは悪だ!眼鏡は視力補助の実用的役割に留まらず、ひとつのアクセサリーとしてその地位を確立している。公的な場でも身につけることが許される数少ない装飾品だ。そして眼鏡を身につけた瞬間、それはもはや装飾品ではなく顔の一部となる。
 僕が眼鏡萌えに目覚めたのは高校生くらいだっただろうか。思い返してみても確固たるきっかけがあったのかは曖昧で、いつの間にか眼鏡の虜にされていた。思うに、普段は眼鏡をかけない子がたまに眼鏡をかけたところを目にしてキュンとしてしまったのが沼への第一歩を踏み入れた瞬間だったのかもしれない。
 誰でも眼鏡を掛ければ萌え萌えキュンキュンしてしまうというわけではない。例え、美少女が眼鏡をかけたとしても(多分、美少女は何しても可愛いが)眼鏡萌えを発動するとは限らないし、逆にパッとしない子が眼鏡をかけた途端、僕的超絶美少女に大変身するということもある。眼鏡によるステータス値の倍率は人それぞれということだ。僕はそれを眼鏡ポテンシャルと読んでいる。
 もう5年以上も眼鏡女子に惹かれ続けていれば、眼鏡ポテンシャルを読みきることはそう難しくはない。「この人、眼鏡かけたらもっと輝けるのに...もったいない」などはよくあること。眼鏡地味女子高生が大学に入って化粧を覚えコンタクトにしてみたらキラキラしちゃいました、というのはよく聞く話だけど、コンタクトにはしなくていいのに!と僕は声を大にして言いたい。ただ、いつもコンタクトなのに合宿の夜とかに、普段は掛けない眼鏡でギャップを狙ってくる手口はとても巧妙で現代の諸葛亮のような策略。

 人生において眼鏡ポテンシャル最上級の女の子には3人ほどしか出会ったことがないが、ほんとに眼鏡を掛けていてくれてありがとうの一言に尽きた。 

 眼鏡フェチを世の男性諸君にもっと広めていきたい。眼鏡は素晴らしいぞ。

年下について

 年下の後輩、特に女子の後輩というものが存在しない青春を送ってきた、こじらせ男子のkawaiiは部活終わりに後輩に「kawaii先輩!今日もお疲れさまでした!」などと、眩しすぎて直視できないほどの笑顔で言われてみたかった。我が青春、一瞬たりとも輝き灯ることなく幕を下ろした。

 

 小学生までは年上年下の垣根はそれほど明確に立ちはだかることなく、仲がいいか否かそれだけで、単純明快だった。中学生になって初めて、先輩後輩関係という、礼儀を意識させられるシステムが導入された。礼儀を重んじる日本の良いところでもあるのかもしれないが、友人になる前にひとつ先輩後輩関係を挟まないといけないのは大変まどろっこしい。友人になれそうもない人でも、先輩だからという理由で愛想よく人間関係を良好に保っていかなければならないというのは大変まどろっこしい。敬語の文化もあまり好きになれない。もっとフランクな文化圏に憧れがある。英語圏のフランクさは人間関係の交流をきっと促進させている。しかし、敬語に助けられる場面もあるにはある。敬語は良くも悪くも人と人との心の距離を保つ働きをする。

 年下、後輩については、どちらかというと、否、圧倒的に先輩と仲良くなる方が簡単だと思っている。僕は後輩との関係を築くのが苦手だ。中高大すべて一貫して。大学で仲のいい後輩を挙げて、と言われても数人しか出てこない。

 なぜ、先輩の方が仲良くなりやすいか考えたことがある。まず、立場として後輩である僕はチャレンジャーなのである。先輩からしたら、面白くなかったら簡単に見切りをつけられる。僕はこれだけ仲良くなりたいんですよ、これだけ面白いことできますよ、と売り込んで、先輩に気に入られるのを待つだけだ。そして経験上、自分から仲良くなろうと近づいていけば、あしらって来る先輩に出会ったことはない。敬語の存在も大きい。はじめは敬語を使うことで相手との距離が測りやすく、いつ詰めればいいのかの判断もしやすい。敬語を使うことで素の自分を出さずに、よそ行きの自分で様子見することもできる。

 対後輩で一番苦手とするのは、相手が気を遣っているなと感じてしまうところだ。気を遣っていると気づかれた時点で相手にも気を遣わせてしまうというのは習わなかったのか。そしてこっちが気を遣えば、相手は余計に、と悪い方向に流れていく。いきなりグイグイ来られるのは話が違うが、いつまでも気を遣いっぱなしでは、そこまでの関係にしかなれない。結局、後輩とは気を遣い合ってしまい上手く仲良くなれないのだと思う。先輩に対しては、最初こそ気を遣うものの、あとは捨て身で売り込むだけなので終始気を遣う必要はないし、先輩の方も気を遣ってくることはないから、関係が楽だ。

 以上が先輩とは仲いいのに後輩とはそうでもない僕の内的要因であるが、大学のサークルによる外的要因もある。入学したての一回生たちには後輩はいないので、同級生か先輩と仲良くなる。1年経って、後輩が入ってきても、まだ仲良くない後輩と遊ぶより先輩や同級生と遊ぶ方が楽しいのでそっちで遊ぶ。中高と違って、大学は4年(+院)と長いので、先輩がすぐに卒業することもない。結局、同じメンバーで遊んで後輩とは疎遠に。というのが、僕らのサークルの現状。

 後輩という関係よりもっと下の子。赤ちゃん〜小学生くらいまでの子供にはフランクすぎるくらいに接することができる。弟と年が離れているので、そのへんの年頃の子供の扱いには慣れている。電車で赤子をみれば、母親に気づかれぬよう変顔で笑わせてやり、レジャー施設で遊ぶ少年いれば、話しかけてやる。一見、変なおじさんに見えるが、実際子供達からしたら変なおじさんなのだろうが、子供たちの反応が新鮮で楽しいのでやめられない。なんだこいつ!と言わんばかりの顔で逃げていく子もいれば、気さくに話してくれる子もいる。友人にも「子供好きだよね」と言われ続けてきたので、この前、誰かと僕が子供好きという話をしたら「絶対嘘、ありえない」と断言された時には驚いた。みんな知っているものだと思っていたよ。

起床について

 有名な物理法則に慣性の法則というものがあって、それは起床時にも例外ではない。少し前まで寝ていた人間はそのまま寝続けようとする。それに加え、朝方は布団との万有引力が距離の2乗に反比例せず、通常時より大きくなることも知られている。小さな妖精がまぶたを無理やり下ろそうとしてくるという報告もある。お互いこのままではよくないと思ってるのに別れを切り出せずにいるカップルみたいに、布団との関係もズルズルと続いて起きられないのは万国共通だ。
 そこで、朝という貴重な時間を搾取する布団との戦いに終止符を打つべく、僕は作戦を立てた。題して、第二布団速度実現プロジェクト。到達目標は二度寝せずに完全覚醒すること。目覚まし単体ごときでは太刀打ちできないのはわかっているので、目覚ましで目を覚ました後、プラスαで完全覚醒する必要がある。それで、簡単に思い付く方法から実行してみた。


案その1~日光浴法~

 朝、日の光を浴びることで目が覚めるといういたってシンプルな方法。準備は夜寝る前にカーテンを開けておくだけ。朝になれば日が差し込んできて起きられる。
 いざ、実行してみると、目覚ましを7時にセットしていたのに、日の出はもっと早く6時過ぎには目覚めてしまった。まだ少し寝れるなと思い二度寝し、目覚ましを無視し失敗に終わる。日の出の時刻まで制御することは不可能。


案その2~日光浴法(改)~
 カーテンを開けたままだと日の出の時刻に強制目覚ましという事態が起きてしまう可能性があるから、ならば、起きて日光浴すればいいじゃないか。ということで、改良点はカーテンは閉めたまま眠り、朝、目覚ましで起きたらカーテンを開けて日光を取り込む。
 目覚ましの音で7時に目が覚め、気力を振り絞って手を伸ばしカーテンを開ける。が、しかし、日光に瞬間的な覚醒作用がないので、布団に引きずり戻され敢えなく失敗。


案その3~ストレッチ法~
 朝起きてストレッチをすることで血の巡りを良くしスッキリ起きようということだ。
 布団の上でストレッチしているうちに眠くなってそのまま倒れて失敗。


案その4~朝ニコチン法~
 ニコチンを吸入することで無理やり血流を早くし覚醒へもっていく作戦。寝る前に枕元にiQOSをおいて準備万端。ここで、紙煙草では外に出ないといけないため、布団の上でそのまま吸えるiQOSを選択。
 7時に起床し、間髪いれずにヒートスティックを差し込み電源をONに。20秒の加熱待機で寝落ちしそうになりながらも、寝ぼけながらニコチンの吸引に成功した。が、確かに覚醒はしたんだけど、頭くらくらするし、負担が大きい。体に悪いって警告が体から発せられているようなのでこれは使えない。


案その5~マウスウォッシュ法~
 結果から言おう。これが今最も確実な起床法である。マウスウォッシュとは洗口液のことである。刺激の強めな洗口液を使う。僕はリステリン使用。
 起きて洗面所へ行き、洗口液で口を濯ぎ、目が覚める。刺激が強いものを使えば瞬間的に覚醒できる。ルーティーンとしても簡単である。口の中に刺激物を含めば大体目が覚める理論である。これで9割起きれるようになった。残りの1割は、洗面所まで行く気力が足りなかった時である。

 これを書いている現在2時前なので、起床法を説いておきながら、明日の朝は起きれそうもない。

生活について

 生活、つまり生きる活動である。それが生きる"ための"活動なのか、生きた"結果の"活動なのか、生きる"のをより良くする"活動なのか、生活の定義は十人十色である。一般に生活と言えば、毎日繰り返される日々の生き方ととられられる。その積み重ねが人生となるのだから、生活を少しでも良くしようと考えるのは自然な流れである。また、生活が荒めばその人の心も荒む。心が荒んで生活が堕落する場合もある。逆に、生活が豊かになれば心にも余裕ができる。この場合の豊かさは必ずしも物質的な豊かさではない。
 大学生になったら親元を離れ一人暮らしを始めたので僕の生活は一変した。それまで、家に帰れば誰か家族が出迎えてくれ、時間になれば食事が出され、何もせずとも部屋は綺麗な状態を保たれていた。一人暮らしというのは"生活力"が必要なのだと始めてわかった。ここで言う生活力とは、面倒だが生きていく上でしなくてはならないことをうまくやっていく力とでも解釈してほしい。掃除、洗濯、自炊、食器洗い、日用品の買い物、今まで実家でやってこなかった事をすべて一気に課せられたのだ。生きるのはとてもめんどくさい。ただ3年間も一人で暮らしていれば生存最低限のことはこなせるようになった。
 僕なりに生活をより良くするために必要かつ重要なものが3つある(本当はもうひとつ一番重要なことがあるがここでは伏せておく、出し惜しみとかではなく場に相応しくないので)。適度な運動、きちんとした食事、十分な睡眠。とても当たり前のことだ。しかし、今を生きる大学生は遊びやらバイトやら勉強やらでその3つを満たす生活を送れてる人は多くはないはずだ。この3つが出来ているからといってスーパーマンになれるわけではない。マイナスがプラマイゼロに戻るだけだ。しかし少なくとも、その死んだ魚のような目からは卒業できるだろう。
 3つの中でも最も難しいであろうきちんとした食事について。大学入学前は未だ見ぬ単身生活に心踊らせ、自炊マスターにでもなってやる、と意気込んでいたのが懐かしい。3年間、生活してみてフライパンの使用は十数回、最も使われているのは断トツでコップと箸である。一時期は洗い物もめんどくさく、紙コップと割り箸を使っていた時期もあった。つまり、自炊などほとんどしていない。それでも2年生までは気が向いたら自炊してみたりもしていたが、今では完璧に自炊しないと決めた。作るのもめんどくさい、何を作るか決めるのですらめんどくさい。現在、朝晩はもう固定メニューを決めていて悩む必要はない。あとは昼だけなのだが、昼も解決策になりそうなものを見つけたので試行段階にある。毎日同じものを食べてて体に良くないのでは、という疑問も残ったが、即席麺やコンビニ弁当などのいかにも体に悪いものを食べている訳ではないし、そういうものばかり食べている人でも生きていけているんだから大丈夫だろうと、言い聞かせている。また食事事態は好きだが毎回の食事に楽しみを見いだす必要はないと考えているため、食事楽しみ回以外は栄養補給作業と思って遂行している。ただ、食べたいものがある時は欲求に従って食べたいものを食べている、呼ばれればラーメンでもハンバーグでも。
 ある映画で生活の本質を気づかされた。毎日の生活に刺激を求めていた僕には逆説的でとても衝撃的だった。それは、毎日の生活を毎回同じように生きる、ということだ。新たな刺激がある日々を求めて生活するのとは真逆のことをしろ、と。毎日同じように生きれば一見単調になるように思われるし、単調になる瞬間もあるだろう。しかし、毎日同じように生きれば、同じように生きてきた過去の日との違い、今日の特別性がはっきり認識できる。一日単位で特別な日ではなくて、その特別な瞬間を見逃さず感じることができるようになる。
 この先、死ぬまで生活は続くのだから考えて生活しようということ。