年下について

 年下の後輩、特に女子の後輩というものが存在しない青春を送ってきた、こじらせ男子のkawaiiは部活終わりに後輩に「kawaii先輩!今日もお疲れさまでした!」などと、眩しすぎて直視できないほどの笑顔で言われてみたかった。我が青春、一瞬たりとも輝き灯ることなく幕を下ろした。

 

 小学生までは年上年下の垣根はそれほど明確に立ちはだかることなく、仲がいいか否かそれだけで、単純明快だった。中学生になって初めて、先輩後輩関係という、礼儀を意識させられるシステムが導入された。礼儀を重んじる日本の良いところでもあるのかもしれないが、友人になる前にひとつ先輩後輩関係を挟まないといけないのは大変まどろっこしい。友人になれそうもない人でも、先輩だからという理由で愛想よく人間関係を良好に保っていかなければならないというのは大変まどろっこしい。敬語の文化もあまり好きになれない。もっとフランクな文化圏に憧れがある。英語圏のフランクさは人間関係の交流をきっと促進させている。しかし、敬語に助けられる場面もあるにはある。敬語は良くも悪くも人と人との心の距離を保つ働きをする。

 年下、後輩については、どちらかというと、否、圧倒的に先輩と仲良くなる方が簡単だと思っている。僕は後輩との関係を築くのが苦手だ。中高大すべて一貫して。大学で仲のいい後輩を挙げて、と言われても数人しか出てこない。

 なぜ、先輩の方が仲良くなりやすいか考えたことがある。まず、立場として後輩である僕はチャレンジャーなのである。先輩からしたら、面白くなかったら簡単に見切りをつけられる。僕はこれだけ仲良くなりたいんですよ、これだけ面白いことできますよ、と売り込んで、先輩に気に入られるのを待つだけだ。そして経験上、自分から仲良くなろうと近づいていけば、あしらって来る先輩に出会ったことはない。敬語の存在も大きい。はじめは敬語を使うことで相手との距離が測りやすく、いつ詰めればいいのかの判断もしやすい。敬語を使うことで素の自分を出さずに、よそ行きの自分で様子見することもできる。

 対後輩で一番苦手とするのは、相手が気を遣っているなと感じてしまうところだ。気を遣っていると気づかれた時点で相手にも気を遣わせてしまうというのは習わなかったのか。そしてこっちが気を遣えば、相手は余計に、と悪い方向に流れていく。いきなりグイグイ来られるのは話が違うが、いつまでも気を遣いっぱなしでは、そこまでの関係にしかなれない。結局、後輩とは気を遣い合ってしまい上手く仲良くなれないのだと思う。先輩に対しては、最初こそ気を遣うものの、あとは捨て身で売り込むだけなので終始気を遣う必要はないし、先輩の方も気を遣ってくることはないから、関係が楽だ。

 以上が先輩とは仲いいのに後輩とはそうでもない僕の内的要因であるが、大学のサークルによる外的要因もある。入学したての一回生たちには後輩はいないので、同級生か先輩と仲良くなる。1年経って、後輩が入ってきても、まだ仲良くない後輩と遊ぶより先輩や同級生と遊ぶ方が楽しいのでそっちで遊ぶ。中高と違って、大学は4年(+院)と長いので、先輩がすぐに卒業することもない。結局、同じメンバーで遊んで後輩とは疎遠に。というのが、僕らのサークルの現状。

 後輩という関係よりもっと下の子。赤ちゃん〜小学生くらいまでの子供にはフランクすぎるくらいに接することができる。弟と年が離れているので、そのへんの年頃の子供の扱いには慣れている。電車で赤子をみれば、母親に気づかれぬよう変顔で笑わせてやり、レジャー施設で遊ぶ少年いれば、話しかけてやる。一見、変なおじさんに見えるが、実際子供達からしたら変なおじさんなのだろうが、子供たちの反応が新鮮で楽しいのでやめられない。なんだこいつ!と言わんばかりの顔で逃げていく子もいれば、気さくに話してくれる子もいる。友人にも「子供好きだよね」と言われ続けてきたので、この前、誰かと僕が子供好きという話をしたら「絶対嘘、ありえない」と断言された時には驚いた。みんな知っているものだと思っていたよ。