ある夏の日

 「朝だよ、起きなさいよー」
階下から聞こえる母の声で目が覚める。もはやただの卓上時計となった目覚まし時計に目をやると時間は6時20分。学校の授業がある日よりだいぶ早めの起床だ。時間にして数秒、寝ていたい僕と起きなければいけない僕との幾重にも繰り広げられた攻防戦の末、何事もなかったかのように僕は目をつむった。おやすみなさい。
 再び心地よい世界に入る前に母の追撃がくる。
「早く起きないと遅れるわよ」
渋々、僕は重いまぶたを開き、重い腰を上げ、重い体に鞭打って一階へ下りて行った。一階に下りると母がキッチンに立っていた。コーヒーの香りとトーストの焼けた匂いが漂ってくる。
 僕はリビングを抜け、洗面所へ行き、鏡に映った寝ぼけた自分と目を合わせてから、洗顔をする。いつもならリビングに戻り朝食にするのだが、今日はもう夏休みである。時間ギリギリに起きているので優雅な朝食を楽しむ暇はない。着替えてすぐに外に出た。玄関の戸を開ければ、誰が一番大声を出せるか競いあってるかのように蝉たちが鳴いている。蝉たちの早起きに感心しながら、家の敷地を出て徒歩で目的地へと向かう。

 

 向かう先は歩いて3分の公園だ。小規模な運動会なら開けそうなほどの広場には他の子供たちがもう集まり始めていた。僕はすぐに友人を見つけ挨拶をする。起きてすぐということもあり、会話をするだけの頭は回らない。友人も同じようで、いつもの半分しか目が開いてない。
 朝早くから公園へ来た目的はラジオ体操。強制参加ではないものの、特に行かない理由はなく、友達も来るので参加していた。僕の地区ではラジオ体操第一のみやることになっている。子ども会の係の大人たちが前で見本となってラジオ体操が始まった。一年もブランクがあればうっすらとしか記憶がなく、ラジカセから聞こえる陽気なお兄さんの掛け声をBGMに僕は見よう見まねで体を動かす。日常的にラジオ体操をしている物好きはいないようで、僕も含め、子どもたちは前の大人とワンテンポ遅れて体を動かしていた。
 ラジオ体操が終わると、ほどよく体を動かしたお陰で眠気もすっかり消え、お腹も減ってきた。スタンプカードに今年ひとつ目のスタンプを押してもらい、友人に別れを告げ帰宅した。

 

 ラジオ体操から戻りリビングに入ると、母と父が食べた朝食の残り香が食欲を刺激してきた。ダイニングテーブルに肘をつきながらテレビを観ていた母にいつもの調子で尋ねた。
「お母さん朝ごはんなにー?」
大体、返事は決まっていて、
「食パンだよ、バターかピーナッツバターかピザトーストか何がいい?」
「いつも食パンじゃん、飽きた」
なんていうやり取りがいつもの朝の光景だった。いつもなら今頃、朝礼をしている時間だ。別に興味もない芸能人のスキャンダルを報じる朝の情報番組を観ながら夏休みの始まりを実感する。

 

 夏休みには、ラジオ体操の他にもうひとつ、プールの補習という日課がある。補習といっても全員が半強制参加で、だいたい10回弱くらいある。僕はスイミングスクールに通っていたこともあり、他の同学年の子と比べれば泳げる方だった。たがら泳ぐことに関しては苦ではなかった。ただ、小学校のプールにひとつ問題があった。そのせいであまり学校のプールは好きになれなかった。
 10時過ぎになり、僕は水泳補習の身支度を始めた。水着をもって脱衣所に向かい、ズボン、パンツを脱いで水着をはき、脱いだばかりのズボンをはいた。家から水着をはいていけば、学校で着替える手間が省ける。小学生にもなれば他人にちんちんを見せるのが恥ずかしくなる年頃で、みんな腰にタオルをまいて着替える。自宅で着替えておけば、その煩わしさからは解放される。プールバッグにタオル、ゴーグル、水泳帽、それにパンツもしっかり入れた。パンツを忘れたらノーパンで帰ることになる。何度か経験があるがあまりいいものではない。
 学校に行く途中、友達を拾いながら歩いて30分弱で学校に着く。通常授業なら自分の教室で水着に着替えるのだが、夏休み中は図画工作室が男子更衣室として開放されており、木材や絵の具やらの匂いに包まれ着替えるのはいつもと違って少し嬉しくなる。
 僕の小学校は少々珍しい所にプールがある。プールがあるのは3階建て校舎の屋上だ。図画工作室が更衣室として使われているのも、屋上に上がる階段のすぐ側にあるという理由からだ。小学校のプールが嫌だった理由も屋上にあることが関係している。プールサイドもプールの中も鳩の糞だらけなのだ。地上約15メートルの憩いの場はやりたい放題されていて、掃除されているとはいえ、毎日の爆撃をすべて処理はしきれない。だから、あまりそこのプールでは泳ぎたくなかった。見て見ぬ振りをするしかなかった。
 階段を上り、屋上に出て、また階段を上るとやっとプールにたどり着ける。プールサイドで先生の掛け声にあわせて準備体操をして、シャワーを浴びる。プールサイドに腰掛け、脚だけ入水させる。焼けつくような夏の日差しのせいで、水温は生ぬるい。といっても、気温と比べれば、涼しく、水を肌に感じて夏の特権を味わう。体に水をかけ徐々に体に慣らしていき、先生のゴーサインでやっと全身浸かることがてきる。この時にはもう、夏とプールの最適解の組み合わせで鳩の糞のことも忘れている。学校の水泳はスイミングスクールと比べれば朝飯前で難なくこなすことができた。
 プールの補習が終わり、シャワーを浴びて更衣室に戻る。水着から服に着替える時ばかりはタオルを腰にまいて着替えなければいけない。水着のまま帰るわけにはいかない。みんながおしとやかに陰部を隠している中、僕だけふるちんで着替える度胸もなかった。
 まだ太陽が真上にあるのに下校、その上、重たいランドセルも背負っていない、という普段と違う状況だけで、下校も少しは楽しくなる。一緒に下校するメンツは決まっていて、その子らと公園を通りすぎ、郵便局の前を抜け、坂を上り、歩道橋を渡って、各々解散してゆく。僕も家の前までたどり着き、
「じゃあ、また明日」
と言って、僕より遠くに住んでいる子と別れた。夏休みの間、プールの補習があるおかげで友達と会えているところもあった。

 

 玄関の戸を開け、靴を脱ぎ、リビングへ向かう。座ってテレビをみている母に言うことはいつも同じだ。
「ただいま、今日の昼御飯なに?」
「焼きそばだよ」
母とのコミュニケーションのスタートは朝昼晩どれもご飯の話題が始まりだった。夏休みには給食がないから、母は子どもたちの分まで余計に作らないといけなかった。そして、休みの日の昼食は簡単に作れるものと決まっていた。焼きそば、チャーハン、ラーメン、スーパーのお惣菜の中から今日は焼きそばが選ばれたらしい。

 

 夏休みになったからといって別にやりたいこともなく、暇な時間が増えただけのことだった。宿題は最終日までやらないタイプだったし、実際、最終日にどうにかできてしまっていた。テレビをみるか、ゲームをするか、そんなことくらいしかやることがない。
 昼過ぎには母が買い物に行くというので、少しは暇潰しにもなるか、と目的もなくついていくことにした。
 車で行くこと10分、スーパーに着き、冷房のよく効いた店内に入る。野菜コーナーは半袖Tシャツだと少し肌寒い。母が買い物かご片手に商品を品定めし始めて、毎度のことながら辟易させられる。ついてくるんじゃなかった。どうして、もっとスムーズに買い物ロードを進めないのか。前もって買うものを決めてそれをかごに入れる、レジまで5分とかからないだろ。その一度手にとって一瞬の迷いの後に他の人参に取り替えたその行動、意味があるとは思えない。差し当たりない個体差だ。調理してしまえば一緒だろうに。
 母との買い物はいつもこうなる。理解できない行動には憤りを覚えるものだ。理解しようと歩み寄らなければ、そのイライラも僕のなかで堂々巡りするしかない。やっとのことで買い物を終わらせ、食材がつまったレジ袋を両手に下げて帰路につく。買い物の荷物運びが唯一と言ってもいい僕のお手伝いだった。

 

 スーパーから帰り、母は食材を入れた袋をキッチンまで持っていき、休む暇なくそのまま調理を始めた。晩御飯の匂いがキッチンからリビングに流れ込み、脳がお腹からの空腹通知を受けとる。
「今日の晩御飯は何?」
と、本日三度目のご飯質疑応答が交わされる。
 母が勝手に料理を作り、勝手に食卓に料理が並ぶ。物心つく前から不便ない環境に身を置いていれば、その環境が誰によって支えられ、整えられているか、考えもしない。世の中を知らず、うちがすべてならば、恵まれているか否かの発想すら湧かない。多分、僕は想像力が足りないのだろう。仮に恵まれていなかったとしても同じことだっただろう。スラムで生まれスラムしか知らずに生きてきたらそれが当たり前になったはずだ。世間を知って初めて自分の立ち位置を確認することができる。

 

 日も沈みかける頃には父も帰宅した。いつものように晩御飯を食べ、いつものようにお風呂を済ます。夏休みには少しだけ夜更かしができる。それでも、日をまたぐ前に寝る支度をし床につく。ある夏の日が終わっていく。
 また明日も同じような日がやってくる。多少の差異はあれど、それを感じとり、その一瞬を切り取り、二度とは戻れないその時を大切にすることは少年にはまだできない。今日が「ある夏の日」ならば、変わらず明日も「ある夏の日」なのだ。平成○○年△月□日と名前を与えられ記憶されることはない。若さの魔力のせいで何気ない日常の特別さに気がつけない。それが永遠に続くと少年は心のどこかで信じている。