給食について

 小学校中学校ともに公立に通っていていた僕は9年間もの間、給食にお世話になったことになる。保育園の頃も入れればもっとだ。そう考えると、もう10年以上も給食を食べてないことになる。毎朝、給食袋にナフキンと箸をいれて登校していたのが懐かしい。4限の授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、班毎に机をくっつけ、給食当番の人はエプロンを着用し、それ以外の人は班で談笑したり、本を読んだりして各々の時間を過ごしていた。どの教室からも温かい給食の匂いが漂い、授業の緊張感とも放課後の開放感とも違う、不思議と落ち着いた時間がそこには流れていた。さほど仲良くない人と班になっても、食を共にすれば心の距離はおのずと縮まった。給食は交流の場を提供していた。

 

 一食約200円であれだけの質と量の食事を提供してくれていたのは、自炊をしない一人暮らしからしたら、とても魅力的だ。今だからこそ、その素晴らしさがわかる。大学生が外にランチに行けば500円はかかるし、たとえ生協の食堂で安く抑えたとしても300円以上はかかる。毎日違ったメニューで飽きることもなかった。

 小学生の頃は給食は特に好きでもなかった。よく食べる=かっこ悪い、みたいな変な方向にひねくれていたので、配給された分の給食も、いただきますの合図が終わるとすぐに半分に減らしにいっていた。ひどい時は牛乳も飲まずに返していた時期もあった。今思えば、もったいないことをしていた。「もったいない」という感情は食べ物に対してではない。減らした分は食いしん坊の誰かが代わりに食べてくれていた。もったいないのは、給食を食べられる限られた9年間のうちの半分以上を素直に楽しめていなかったことだ。ここまで読んだ読者諸賢なら気付いたと思うが、中学生にもなれば僕は給食大好きっ子になっていた。中学時代は毎日その日の給食を楽しみに学校に行っていた。朝、教室に入って、まず献立表でその日のメニューを確認するのが日課だった。授業を聞くのも、部活動で体を動かすのも好きじゃなく、毎日の変わり映えしない日々に、給食だけが昨日と今日とを差別化するイベントだった。珍しいデザートの日に欠席者がいれば、じゃんけん大会にも参加するほど、給食を好きになっていた。

 

 大学生になって異郷の地の人と交流するようになってから、給食カルチャーショックが何度もあった。僕の学校の給食は、基本的に、①ご飯またはパン②大きいおかず③小さいおかず④牛乳(⑤デザート)の構成だった。どの地域もこの大まかな分類は一緒だろう。お盆はなく、皆ナフキンを持参して机に敷いていた。お盆がある地域だと、各自お盆を持って配膳台に並び、料理を受け取ってお盆にのせていく方式ができる。しかし、お盆がない僕の地域では給食係が一つ一つお皿を机まで運んでいた。

 牛乳は瓶と紙パックで分かれる。僕は瓶だった。瓶の蓋(俗に言う牛乳キャップ)でメンコを作って遊んでいたのも懐かしい。わずかに湾曲している牛乳キャップを押し花の要領で平らに固くし、面には各々が好きな絵柄を描き込んでオリジナルメンコを作った。瓶勢は紙パック勢と違い、給食が終わった後も楽しめるのだ。紙パックの牛乳に対して疑問に思うのが、コーヒー牛乳の粉がついてきた時、どうやって混ぜて飲んでいたのか。瓶の場合は一口飲んで、粉を入れ、蓋をして振って混ぜていたが、紙パックはストロー挿すところ以外に開け口があったのかな。ちなみに、コーヒー牛乳の粉も「ミルメーク」が全国共通だと思っていたがミルメークを知らない人に会ったことがある。

 テレビで人気給食メニューランキングだったり、好きな給食調査だったりがやっていると、決まって揚げパンが一位だった。当時のkawaii少年は思った、揚げパンって何だ、と。僕の地域では揚げパンなるものが出たことがなかった。揚げただけのパンがそんなにおいしいのか。砂糖をまぶしてあるという噂も聞いたことがある。いまだに揚げパンは食べたことのない未知の味だ。

 揚げパンの美味しさを知らずに生きてきた僕を不幸者と嘲るやつもいるだろう。しかし、こっちにもとっておきがある。きっとソフト麺は食べたことないだろう。両方食べたことあるやつにはもう負けを認める。関西地方でソフト麺を知っている人はほとんどいないのではなかろうか。ソフト麺は、ラーメンとうどんの中間くらいの麺で、一食ごとに袋詰めして出される。ソフト麺にはいつも、大きいおかずにミートソースと決まっていた。ラーメンともうどんともパスタとも違う麺。安っぽく素朴な感じがまた味を出していた。ソフト麺の日の給食後はみんな口周りをミートソースで赤くしていた。

 

 教師になろうと思ったことは一度もないけど、大人になっても給食を食べられるのは少し羨ましい。でも、子どもだったから給食を美味しく感じられていたのでは、という思いがほんの少しだけないこともない。美味しい記憶は美味しいままにしておこう。

 

 

追記(ある献立について)

 中学生の頃の、どうしても強烈に記憶に残っている献立がある。まず、その日はパンだった。パンは大体が食パンかコッペパンのどちらかなのだが、その日はいつもとは違う見慣れないパンだった。丸くて、真ん中にすじの入った、穴のないドーナツのような形をしていた。健全な男子中学生なら性の知識もついてきて、なんでも下ネタに連想したがる。そして僕らも例外ではなく、誰が言い出したか知らないが、そのパンが女性器をかたどっている、と。そして、おおきいおかずがボイルされたソーセージで小さいおかずがフルーツポンチだった。パンとソーセージだけでも組み合わせたらダメなのに、フルーツポンチまで添えられたら、男子中学生歓喜。献立を作る側の意図的な何かを感じずにはいられなかった。この献立のインパクトは絶大で、あれから10年くらい経つのに、正月に集まった時にはみんなが覚えていた。衝撃の献立は後にも先にもあれだけだった。