洗濯について

母は偉大である、しかしその偉大さ故、一緒に住んでいる時には気づけないものである。概して、大きなものは近すぎてはその全貌を視野に収めきることができず、離れてみて初めてその大きさに驚くものである。料理しかり、掃除しかり、洗濯しかり。母は偉大である。


上の三大家事の中でも、もっとも地味なのが洗濯だろう。洗濯だけが頭も使わず心も踊らず、誰でも洗濯機とお日さまさえあれば出来てしまう。玄人と素人のクオリティの差が他と比べて極端に狭い気がする。RTAするくらいしかやりがいがないんじゃないか。

 

洗濯は棚に収納するまでが洗濯です。
洗濯と言われれば、衣類の汚れを落とす作業のことだと認識するだろう。衣類を洗濯機に放り込み、洗剤と柔軟剤を適量入れて、スタートボタンを押す、あとは洗濯機からの終了の合図を待つだけ。至って簡単。しかし、ここで洗濯が終わればどれだけ楽か。洗濯と言っておきながら、めんどくささの大半は干すのと畳むのが担っている。幾度となく洗濯終了の合図を無視し、無駄な二度目三度目の洗濯スタートボタンを押したことか。干すという第1の壁を越えたとしても、待ち受ける第2の壁、畳むという作業。外に干した洗濯物を取り込んでソファに放り投げればいい方で、その日に着るものを物干し竿からそのまま取ってくるのなんてざら。一人暮らしの男性諸君ならわかってもらえるはず。

 

洗濯も科学の進歩によって昔と比べるととてもとても負担が少なくなったと思う。むかしむかし、川から桃が流れてくるような時代には川で洗濯していた訳だし。場所が違えば、今でもガンジス川で子どもたちが水浴びする傍ら、生活排水が垂れ流しの水に洗剤を混ぜながら手揉みで洗ってるところもある。
干すのも予算があれば乾燥機付きの洗濯機を買えば、幾分楽ができる。

畳むも自動化する未来よ、早く来い。

 

洗濯に追究の余地はあるのかどうか。洗濯のプロといえば、クリーニング屋さんが思い付くが、常時洗濯をクリーニング屋に任せる人など少なくとも僕の周りにはいない。クリーニング屋の出番といえば、コートとかスーツくらいだ。プロに任せたから洗濯のレベルが上がるというよりは、分業ができてると言ったほうがいい。家庭レベルでの洗濯の向上は、洗剤にこだわるとか、素材によって洗い方を変えるとか。
ここまで書いて、ふと気づいたけど、僕が服とかファッションに興味がないのが問題なのかもしれない。裾の白いびろびろの説明に従って洗濯なんてしたことないし。別にいい衣類を見に纏ってる訳でもないので、洗濯がもっとも簡単な最低レベルで満足してしまっている。衣服に愛がないから。

 

良い物を着るようになれば、もう少しは洗濯に興味を持てるようになるのかな。