煙草について

 煙草は百害あって一利無し、なんて言葉はよく言われているがこれは間違いである。一利くらいはある。そして百害以上ある。

 僕は昔から一貫して嫌煙家であった。物心ついた頃には煙草など一生吸わないと心に決めていたし、近くで煙草を吸われるのも嫌がるほどだった。家族の中では父だけが喫煙者だった。僕が小さい頃は換気扇の下での一服を許されていたが、いつの間にか玄関前に降格していた。冬になればわざわざ寒い中、外に出て煙草を吸いに行くなんて頭おかしいのでは、と思っていた。非喫煙者からしたら、何故わざわざ身体に悪いことを進んでするのか理解できなかった。しかし、世の中の大抵のことはやってみて初めて理解できるか否か判断できるもので、喫煙を禁止されている未成年だった僕が理解できないのは当然のことだった。

 この文章を書いている現在、僕は禁煙中だ。未だニコチンの中毒性も感じないし、禁断症状も出てない。禁煙継続約三時間ほどだ。つまり、まだ煙草を止める気はない。

 喫煙歴は未だ浅く半年くらいだ。人間の決意など思春期の女の子の心のように移ろいやすく、状況が変われば簡単に変わってしまうものである。煙草は吸わないと決めていた僕もいつの間にか一人前の喫煙者になっていた。きっかけは、世界に絶望して自分が嫌で嫌で仕方なくなった時、隣で煙草を吸う友人に一本貰ったことだ。煙草一本ごときで世界の終わりが終わることもなく、絶望の淵に立たされていたことには何の変わりもなかったが、不思議とほんの少しだけ気持ちが楽になった。ニコチンによる生理的なこともあるだろうが、今までなら煙草を吸わないだろう自分、過去の嫌で仕方ない自分から少しでも離れられた心理的こともあっただろう。煙で肺を満たす数分だけは絶望から逃れることができた。悪く言えば煙草に逃げたということになる。それ以来止めるきっかけもなく常習犯となっている。

 「煙草おいしいの?」などと訊いてくるのは愚問である。不味ければとっくに止めている。一日の始めの一本目は格別である。口から気管を経由して肺に煙が行き渡る。ニコチンが肺から吸収され身体中に浸透してゆく。血流が速くなり血管の収縮を身体で感じる。頭に血液が輸送されクリアになっていく。ハイになる一方で精神的安定も感じる。身体に悪いことは百も承知だが、今この瞬間を煙草でギアチェンジできるなら構わない。

 喫煙するようになってから、煙草を吸う女性への拒否感もなくなった。綺麗な女性が煙草を吸っているところに遭遇したら、今までなら「美人なのにもったいない」と思っていたのが、今なら「かっこええなぁ」なんて思ってしまう。フィルターについた口紅など世の中で最もエロティックな物のひとつだ。

 就職したら煙草とは決別するつもりだ。恐らく業務中は一服することを許されないだろうし、吸えて昼休憩だけとなると、もう止めてしまった方がいい気がするからだ。だから、あと三年は身体のことは気にせず嗜好品を嗜もうと思う。ただ、吸わないで済むなら吸わない方が絶対にいいので、お勧めはしない。