ハンカチについて

 「ハンカチを常備するのは紳士たる必要最低限の条件である」という実用的でとてもありがたいお言葉がある。ハンカチを持ち歩ていない紳士などイチゴの載っていないショートケーキくらいには存在しない。人はハンカチと共に生活することで初めて紳士に成り得るのかもしれない。ちなみに、上の言葉の出典は僕である。

 ハンカチを日常的に常備している男子がどれだけいるだろうか。かくいう僕も持ち歩いていない者の一人である。紳士には程遠い。トイレで手を洗えば、(ジェットドライヤーが無ければ)自然乾燥が当たり前。服の裾がハンカチの代打率第1位であろう。食事で口元が汚れても大抵の飲食店では、ちり紙が置いてある。無ければポケットティッシュ。ハンカチが必要かどうかと問われれば、答えはNoである。世の利便性が高まるにつれ、ハンカチの影は薄くなる一方だ。しかし、どの場面においてもハンカチを使う方がスマートではないか、と僕は思う。ここでハンカチの有用性について考えてみようと思う。

 まず、ハンカチが秘める可能性の大きさ。たかがハンカチと侮ることなかれ。いち庶民から、ハンカチ一つで王子まで上り詰めた人間がいる。恐るべきことだ。ポケットティッシュではきっとその高みまで到達することは不可能であっただろう。ポケットティッシュ男爵が関の山だ。恐らく、彼の両親はハンカチの可能性に気づき、彼を小さいころからハンカチに集中できる環境に置き、英才ハンカチ教育を施してきたのだろう。ハンカチ界の王子でありながら、野球もできるとは、天は二物を与えてしまっているではないか。

 次に日常的側面から考えていこう。先にあげたお手洗い後のハンカチの活躍は言うまでもない。と、ここまで書いて、日常使いの用途がそれ以外思いつかない。そもそもハンカチは手を拭くという目的を持った布ではないか。それ以外は臨機応変にきっと何かの役に立つ時があるだろう。きっと、、、

 さて、ハンカチの紳士性について。本来の用途である手を拭く行為にもハンカチがあるかないかで印象が変わってくる。異性とお出かけした時、手をぶらぶらと狂った指揮者のように振ってトイレから出て来る男と、ハンカチで上品に手を拭いて出て来る男、どちらが良いかは言うまでもない。トイレに限ったことではない。個人的な体験を言わせてもらえば、水族館でドクターフィッシュ体験をし、手を洗った後のこと。いつも通り、僕はハンカチを持っていなかった。同伴していた女の子は気を遣ってハンカチを貸してくれた。本来ならば、全く逆の立場でないといけないのではないか。僕の方が何も言わずハンカチスッて出すべき場面だったのだ。不甲斐なさで潰されそうだったことを覚えている。この出来事がハンカチの価値を見直した直接的きっかけである。

 想像してみよう。目の前で女の子が泣いている。ハンカチがない僕らに為す術はない。そこで服の裾を差し出して「涙ふけよ」というのは阿呆の所業だ。紳士ならハンカチスッが出来るのである。女の子が泣いている場面に遭遇することなどないかもしれない。しかし、いくら可能性が低いといっても、ハンカチを持ち、いつでも対応できる状態にある、その心意気そのものが、もう紳士なのではないか。そうなれれば、もう君も立派なハンカチ紳士だ。

 これだけ言っても尚、ハンカチを持ち歩いていない理由はハンカチが家にないのだ。きっと新しいハンカチを買えば僕もハンカチデビューが出来るはず。ハンカチはタオル生地のものは好きではない。ごわごわするし、かさばるし、何より子供っぽい。

 紳士にふさわしいハンカチを買いに行こう。どんなのか想像つかないけど。