少年期の読書体験について

 うちの母校では朝の10分間、読書タイムというものが存在した。小学生低学年のころ、何を読んでたのか全く思い出せないが、寝るかおしゃべりするかしてたのだろう。本を読んでいなかったことは確かだ。活字に触れる機会は授業で使う教科書くらいのものだった。初めてフィクション、その当時の言葉を借りれば「字ばっかりの本」を最初から最後まで1冊読みきったのは小学3年生のことだった。

 3年生になると図書館ツアーが催される。授業としてなので強制参加である。初めて図書館に足を踏み入れた。壁一面に本が敷き詰められた部屋、本と貸し出し用のパソコンのみが置かれた静かな時間の流れる部屋。ワクワクもなければ何の面白みも感じず、授業がつぶれてラッキーだったくらいにしか思っていなかった。ツアーの後半、本の借り方を覚えるため、気になる本を1人1冊借りていきましょう、ということになった。確か、頭の良いハムスターの話が書かれた本を借りた。僕は翌朝からの読書タイムではその本を読んだ。それが初めての本だった。活字を読んで頭の中の想像だけで世界を構築するということが初めてで新鮮で、それもあってか退屈が顔を出すことは全くなく、すぐに読み終わった。ただ、本が好きになったわけではなく、そのシリーズを数冊読んだ後はまた本を全く読まなくなった。

 僕を本の世界へ導く転換となった本が2つある。ひとつはミヒャエル・エンデの「はてしない物語」である。小学6年生に読んだ。児童文学の名作であり、この本に出会ってなかったら僕の世界に本が登場することもなかったかもしれない。ファンタジーにハマるきっかけにもなった。詳しくは割愛するが、この本の素晴らしいところは、主人公がまさにその「はてしない物語」を読んでいるのである。そして、僕ら同様、「はてしない物語」の一読書でしかなかった主人公が本の中に入って、「はてしない物語」の登場人物となる。実際に僕が本の中に入ることは不可能ではあるが、本の世界に入り込むという感覚を初めて体験させてくれたお話である。現実世界のあらゆるものは一時遮断され、目から得た活字の情報だけを頼りに頭の中で、もうひとつの世界を作り上げ、登場人物と共に冒険を繰り広げる。こんなに楽しいことが世の中にあったのか、と感動すら覚えた。この本との出会いをきっかけに、読みたい本があれば学校の休み時間や家で暇なときに本を開くようになった。僕は積極的読者となった。

 もうひとつは村上春樹の「ノルウェイの森」である。この本を読むまでは児童文学ばかり読んでいて、ノルウェイの森を機に書店で並べられているような文庫本を読むようになった。中学2年生だった。その当時、別に村上春樹なんて知らなかったし、ノルウェイの森が話題になっていたわけでもない。一番仲の良かった女の子、のちに僕の恋人となる子が貸してくれたのがきっかけだ。読み始めの動機としては話を合わせられるから、程度だったのだが読んでいくうちに気づけば村上春樹の文章の虜となった。構成やプロットではなく、文章そのものに面白さを見つける初めての体験だった。アニメに例えれば、話の筋だけでなく、作画のひとつひとつに関心を持つようになったと言えば分かりやすいか。ノルウェイの森の主人公が「グレートギャツビーの適当に開いた1ページだけを読む」という場面がある。僕にとって村上春樹の本も同じようなことをして楽しめる。使われるレトリックや言い回し、行間の隠れた言葉に魅力を感じる。初めての村上春樹作品であり、初めての恋人との接点でもあるノルウェイの森は僕にとっては大切で重要なお話である。

 以上が、別に読書家でもなく、人並みには本を読むただの読書好きの読書体験である。

 本を読みましょうとは言わないが、本と距離がある人はまだきっかけとなる本に出会えてないだけ。読めばきっとみつかるはず。あなたの1冊が。