ある夏の日

 「朝だよ、起きなさいよー」
階下から聞こえる母の声で目が覚める。もはやただの卓上時計となった目覚まし時計に目をやると時間は6時20分。学校の授業がある日よりだいぶ早めの起床だ。時間にして数秒、寝ていたい僕と起きなければいけない僕との幾重にも繰り広げられた攻防戦の末、何事もなかったかのように僕は目をつむった。おやすみなさい。
 再び心地よい世界に入る前に母の追撃がくる。
「早く起きないと遅れるわよ」
渋々、僕は重いまぶたを開き、重い腰を上げ、重い体に鞭打って一階へ下りて行った。一階に下りると母がキッチンに立っていた。コーヒーの香りとトーストの焼けた匂いが漂ってくる。
 僕はリビングを抜け、洗面所へ行き、鏡に映った寝ぼけた自分と目を合わせてから、洗顔をする。いつもならリビングに戻り朝食にするのだが、今日はもう夏休みである。時間ギリギリに起きているので優雅な朝食を楽しむ暇はない。着替えてすぐに外に出た。玄関の戸を開ければ、誰が一番大声を出せるか競いあってるかのように蝉たちが鳴いている。蝉たちの早起きに感心しながら、家の敷地を出て徒歩で目的地へと向かう。

 

 向かう先は歩いて3分の公園だ。小規模な運動会なら開けそうなほどの広場には他の子供たちがもう集まり始めていた。僕はすぐに友人を見つけ挨拶をする。起きてすぐということもあり、会話をするだけの頭は回らない。友人も同じようで、いつもの半分しか目が開いてない。
 朝早くから公園へ来た目的はラジオ体操。強制参加ではないものの、特に行かない理由はなく、友達も来るので参加していた。僕の地区ではラジオ体操第一のみやることになっている。子ども会の係の大人たちが前で見本となってラジオ体操が始まった。一年もブランクがあればうっすらとしか記憶がなく、ラジカセから聞こえる陽気なお兄さんの掛け声をBGMに僕は見よう見まねで体を動かす。日常的にラジオ体操をしている物好きはいないようで、僕も含め、子どもたちは前の大人とワンテンポ遅れて体を動かしていた。
 ラジオ体操が終わると、ほどよく体を動かしたお陰で眠気もすっかり消え、お腹も減ってきた。スタンプカードに今年ひとつ目のスタンプを押してもらい、友人に別れを告げ帰宅した。

 

 ラジオ体操から戻りリビングに入ると、母と父が食べた朝食の残り香が食欲を刺激してきた。ダイニングテーブルに肘をつきながらテレビを観ていた母にいつもの調子で尋ねた。
「お母さん朝ごはんなにー?」
大体、返事は決まっていて、
「食パンだよ、バターかピーナッツバターかピザトーストか何がいい?」
「いつも食パンじゃん、飽きた」
なんていうやり取りがいつもの朝の光景だった。いつもなら今頃、朝礼をしている時間だ。別に興味もない芸能人のスキャンダルを報じる朝の情報番組を観ながら夏休みの始まりを実感する。

 

 夏休みには、ラジオ体操の他にもうひとつ、プールの補習という日課がある。補習といっても全員が半強制参加で、だいたい10回弱くらいある。僕はスイミングスクールに通っていたこともあり、他の同学年の子と比べれば泳げる方だった。たがら泳ぐことに関しては苦ではなかった。ただ、小学校のプールにひとつ問題があった。そのせいであまり学校のプールは好きになれなかった。
 10時過ぎになり、僕は水泳補習の身支度を始めた。水着をもって脱衣所に向かい、ズボン、パンツを脱いで水着をはき、脱いだばかりのズボンをはいた。家から水着をはいていけば、学校で着替える手間が省ける。小学生にもなれば他人にちんちんを見せるのが恥ずかしくなる年頃で、みんな腰にタオルをまいて着替える。自宅で着替えておけば、その煩わしさからは解放される。プールバッグにタオル、ゴーグル、水泳帽、それにパンツもしっかり入れた。パンツを忘れたらノーパンで帰ることになる。何度か経験があるがあまりいいものではない。
 学校に行く途中、友達を拾いながら歩いて30分弱で学校に着く。通常授業なら自分の教室で水着に着替えるのだが、夏休み中は図画工作室が男子更衣室として開放されており、木材や絵の具やらの匂いに包まれ着替えるのはいつもと違って少し嬉しくなる。
 僕の小学校は少々珍しい所にプールがある。プールがあるのは3階建て校舎の屋上だ。図画工作室が更衣室として使われているのも、屋上に上がる階段のすぐ側にあるという理由からだ。小学校のプールが嫌だった理由も屋上にあることが関係している。プールサイドもプールの中も鳩の糞だらけなのだ。地上約15メートルの憩いの場はやりたい放題されていて、掃除されているとはいえ、毎日の爆撃をすべて処理はしきれない。だから、あまりそこのプールでは泳ぎたくなかった。見て見ぬ振りをするしかなかった。
 階段を上り、屋上に出て、また階段を上るとやっとプールにたどり着ける。プールサイドで先生の掛け声にあわせて準備体操をして、シャワーを浴びる。プールサイドに腰掛け、脚だけ入水させる。焼けつくような夏の日差しのせいで、水温は生ぬるい。といっても、気温と比べれば、涼しく、水を肌に感じて夏の特権を味わう。体に水をかけ徐々に体に慣らしていき、先生のゴーサインでやっと全身浸かることがてきる。この時にはもう、夏とプールの最適解の組み合わせで鳩の糞のことも忘れている。学校の水泳はスイミングスクールと比べれば朝飯前で難なくこなすことができた。
 プールの補習が終わり、シャワーを浴びて更衣室に戻る。水着から服に着替える時ばかりはタオルを腰にまいて着替えなければいけない。水着のまま帰るわけにはいかない。みんながおしとやかに陰部を隠している中、僕だけふるちんで着替える度胸もなかった。
 まだ太陽が真上にあるのに下校、その上、重たいランドセルも背負っていない、という普段と違う状況だけで、下校も少しは楽しくなる。一緒に下校するメンツは決まっていて、その子らと公園を通りすぎ、郵便局の前を抜け、坂を上り、歩道橋を渡って、各々解散してゆく。僕も家の前までたどり着き、
「じゃあ、また明日」
と言って、僕より遠くに住んでいる子と別れた。夏休みの間、プールの補習があるおかげで友達と会えているところもあった。

 

 玄関の戸を開け、靴を脱ぎ、リビングへ向かう。座ってテレビをみている母に言うことはいつも同じだ。
「ただいま、今日の昼御飯なに?」
「焼きそばだよ」
母とのコミュニケーションのスタートは朝昼晩どれもご飯の話題が始まりだった。夏休みには給食がないから、母は子どもたちの分まで余計に作らないといけなかった。そして、休みの日の昼食は簡単に作れるものと決まっていた。焼きそば、チャーハン、ラーメン、スーパーのお惣菜の中から今日は焼きそばが選ばれたらしい。

 

 夏休みになったからといって別にやりたいこともなく、暇な時間が増えただけのことだった。宿題は最終日までやらないタイプだったし、実際、最終日にどうにかできてしまっていた。テレビをみるか、ゲームをするか、そんなことくらいしかやることがない。
 昼過ぎには母が買い物に行くというので、少しは暇潰しにもなるか、と目的もなくついていくことにした。
 車で行くこと10分、スーパーに着き、冷房のよく効いた店内に入る。野菜コーナーは半袖Tシャツだと少し肌寒い。母が買い物かご片手に商品を品定めし始めて、毎度のことながら辟易させられる。ついてくるんじゃなかった。どうして、もっとスムーズに買い物ロードを進めないのか。前もって買うものを決めてそれをかごに入れる、レジまで5分とかからないだろ。その一度手にとって一瞬の迷いの後に他の人参に取り替えたその行動、意味があるとは思えない。差し当たりない個体差だ。調理してしまえば一緒だろうに。
 母との買い物はいつもこうなる。理解できない行動には憤りを覚えるものだ。理解しようと歩み寄らなければ、そのイライラも僕のなかで堂々巡りするしかない。やっとのことで買い物を終わらせ、食材がつまったレジ袋を両手に下げて帰路につく。買い物の荷物運びが唯一と言ってもいい僕のお手伝いだった。

 

 スーパーから帰り、母は食材を入れた袋をキッチンまで持っていき、休む暇なくそのまま調理を始めた。晩御飯の匂いがキッチンからリビングに流れ込み、脳がお腹からの空腹通知を受けとる。
「今日の晩御飯は何?」
と、本日三度目のご飯質疑応答が交わされる。
 母が勝手に料理を作り、勝手に食卓に料理が並ぶ。物心つく前から不便ない環境に身を置いていれば、その環境が誰によって支えられ、整えられているか、考えもしない。世の中を知らず、うちがすべてならば、恵まれているか否かの発想すら湧かない。多分、僕は想像力が足りないのだろう。仮に恵まれていなかったとしても同じことだっただろう。スラムで生まれスラムしか知らずに生きてきたらそれが当たり前になったはずだ。世間を知って初めて自分の立ち位置を確認することができる。

 

 日も沈みかける頃には父も帰宅した。いつものように晩御飯を食べ、いつものようにお風呂を済ます。夏休みには少しだけ夜更かしができる。それでも、日をまたぐ前に寝る支度をし床につく。ある夏の日が終わっていく。
 また明日も同じような日がやってくる。多少の差異はあれど、それを感じとり、その一瞬を切り取り、二度とは戻れないその時を大切にすることは少年にはまだできない。今日が「ある夏の日」ならば、変わらず明日も「ある夏の日」なのだ。平成○○年△月□日と名前を与えられ記憶されることはない。若さの魔力のせいで何気ない日常の特別さに気がつけない。それが永遠に続くと少年は心のどこかで信じている。

 

 

給食について

 小学校中学校ともに公立に通っていていた僕は9年間もの間、給食にお世話になったことになる。保育園の頃も入れればもっとだ。そう考えると、もう10年以上も給食を食べてないことになる。毎朝、給食袋にナフキンと箸をいれて登校していたのが懐かしい。4限の授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、班毎に机をくっつけ、給食当番の人はエプロンを着用し、それ以外の人は班で談笑したり、本を読んだりして各々の時間を過ごしていた。どの教室からも温かい給食の匂いが漂い、授業の緊張感とも放課後の開放感とも違う、不思議と落ち着いた時間がそこには流れていた。さほど仲良くない人と班になっても、食を共にすれば心の距離はおのずと縮まった。給食は交流の場を提供していた。

 

 一食約200円であれだけの質と量の食事を提供してくれていたのは、自炊をしない一人暮らしからしたら、とても魅力的だ。今だからこそ、その素晴らしさがわかる。大学生が外にランチに行けば500円はかかるし、たとえ生協の食堂で安く抑えたとしても300円以上はかかる。毎日違ったメニューで飽きることもなかった。

 小学生の頃は給食は特に好きでもなかった。よく食べる=かっこ悪い、みたいな変な方向にひねくれていたので、配給された分の給食も、いただきますの合図が終わるとすぐに半分に減らしにいっていた。ひどい時は牛乳も飲まずに返していた時期もあった。今思えば、もったいないことをしていた。「もったいない」という感情は食べ物に対してではない。減らした分は食いしん坊の誰かが代わりに食べてくれていた。もったいないのは、給食を食べられる限られた9年間のうちの半分以上を素直に楽しめていなかったことだ。ここまで読んだ読者諸賢なら気付いたと思うが、中学生にもなれば僕は給食大好きっ子になっていた。中学時代は毎日その日の給食を楽しみに学校に行っていた。朝、教室に入って、まず献立表でその日のメニューを確認するのが日課だった。授業を聞くのも、部活動で体を動かすのも好きじゃなく、毎日の変わり映えしない日々に、給食だけが昨日と今日とを差別化するイベントだった。珍しいデザートの日に欠席者がいれば、じゃんけん大会にも参加するほど、給食を好きになっていた。

 

 大学生になって異郷の地の人と交流するようになってから、給食カルチャーショックが何度もあった。僕の学校の給食は、基本的に、①ご飯またはパン②大きいおかず③小さいおかず④牛乳(⑤デザート)の構成だった。どの地域もこの大まかな分類は一緒だろう。お盆はなく、皆ナフキンを持参して机に敷いていた。お盆がある地域だと、各自お盆を持って配膳台に並び、料理を受け取ってお盆にのせていく方式ができる。しかし、お盆がない僕の地域では給食係が一つ一つお皿を机まで運んでいた。

 牛乳は瓶と紙パックで分かれる。僕は瓶だった。瓶の蓋(俗に言う牛乳キャップ)でメンコを作って遊んでいたのも懐かしい。わずかに湾曲している牛乳キャップを押し花の要領で平らに固くし、面には各々が好きな絵柄を描き込んでオリジナルメンコを作った。瓶勢は紙パック勢と違い、給食が終わった後も楽しめるのだ。紙パックの牛乳に対して疑問に思うのが、コーヒー牛乳の粉がついてきた時、どうやって混ぜて飲んでいたのか。瓶の場合は一口飲んで、粉を入れ、蓋をして振って混ぜていたが、紙パックはストロー挿すところ以外に開け口があったのかな。ちなみに、コーヒー牛乳の粉も「ミルメーク」が全国共通だと思っていたがミルメークを知らない人に会ったことがある。

 テレビで人気給食メニューランキングだったり、好きな給食調査だったりがやっていると、決まって揚げパンが一位だった。当時のkawaii少年は思った、揚げパンって何だ、と。僕の地域では揚げパンなるものが出たことがなかった。揚げただけのパンがそんなにおいしいのか。砂糖をまぶしてあるという噂も聞いたことがある。いまだに揚げパンは食べたことのない未知の味だ。

 揚げパンの美味しさを知らずに生きてきた僕を不幸者と嘲るやつもいるだろう。しかし、こっちにもとっておきがある。きっとソフト麺は食べたことないだろう。両方食べたことあるやつにはもう負けを認める。関西地方でソフト麺を知っている人はほとんどいないのではなかろうか。ソフト麺は、ラーメンとうどんの中間くらいの麺で、一食ごとに袋詰めして出される。ソフト麺にはいつも、大きいおかずにミートソースと決まっていた。ラーメンともうどんともパスタとも違う麺。安っぽく素朴な感じがまた味を出していた。ソフト麺の日の給食後はみんな口周りをミートソースで赤くしていた。

 

 教師になろうと思ったことは一度もないけど、大人になっても給食を食べられるのは少し羨ましい。でも、子どもだったから給食を美味しく感じられていたのでは、という思いがほんの少しだけないこともない。美味しい記憶は美味しいままにしておこう。

 

 

追記(ある献立について)

 中学生の頃の、どうしても強烈に記憶に残っている献立がある。まず、その日はパンだった。パンは大体が食パンかコッペパンのどちらかなのだが、その日はいつもとは違う見慣れないパンだった。丸くて、真ん中にすじの入った、穴のないドーナツのような形をしていた。健全な男子中学生なら性の知識もついてきて、なんでも下ネタに連想したがる。そして僕らも例外ではなく、誰が言い出したか知らないが、そのパンが女性器をかたどっている、と。そして、おおきいおかずがボイルされたソーセージで小さいおかずがフルーツポンチだった。パンとソーセージだけでも組み合わせたらダメなのに、フルーツポンチまで添えられたら、男子中学生歓喜。献立を作る側の意図的な何かを感じずにはいられなかった。この献立のインパクトは絶大で、あれから10年くらい経つのに、正月に集まった時にはみんなが覚えていた。衝撃の献立は後にも先にもあれだけだった。

 

 

夢について

夢はそれが夢だと認識できないからこそいい

夢がまだ夢であるうちはそれが現実

なぜ、あなたがそこにいるのかという疑問など一切なく

目が覚めてやっと気がつく

ああ夢だったのか、と

こっちが僕の現実か、と

 

 僕はほとんど毎日夢を見る。夢といっても寝る時に見る夢だ。未来が明るい夢見る青年とは真反対の人間だが、寝ればあちらの世界の住人となる。自分の頭の中だけの冒険譚のはずなのに、その範疇を超えたカオスな世界が構築されるのが夢のいいところだ。だから、夢をみてしまう体質を恨むことになるなんて少し前までは考えもしなかった。

 まーた、kawaiiの失恋話か、と嫌気が差した読者は次のブロックまでスクロールしなさい。いずれ恋愛小説を書こうとした時に役に立つかもしれないから書かせてくれ。

 別れてすぐは毎日のように彼女が夢に現れた。大抵は恋人の関係のままの恋人が。現実世界であれだけ絶望しておきながら、夢には偽りの光が差していた。夢の中では、それが夢だと気づかない限り、そこが現実。夢の中の僕は数時間前までの苦悩がまるでなかったかのように元恋人と過ごす。あの日から時が止まったままの彼女と。しかし、覚めない夢はない。新しい朝が来た、希望の朝だ、なんていうのは嘘っぱちで、心地よい虚構から一気に突き落とされる。死にたい朝が来た、絶望の朝だ。毎日、夢と現実の落差で胸が締め付けられる所から始まる。想い人が夢に出てきたからといって、夢から覚めなければいいのに、うふふ、なんて、憧れのあの人に恋する少女のようなことにはならず、もう出てこないでくれと何度願ったことか。夢を見ないようにするには寝ない以外の方法がなく、お手上げだった。以前、失恋をテーマに記事を書いた時に、生活から元恋人の存在を消し去れ、と書いたがこればかりは抗えなかった。

 結局、解決策はみつからないまま、時間だけが過ぎていき、半年もすれば、眠ることも怖くなくなり、起床も普段通りにできるようになった。確実に、夢をみやすい体質は苦しい日々が長引いた一因だと言える。夢をほとんどみないような人を羨んだのはこれが初めてだった。

 

はい、ここから本番。

 

 夢を見やすい人と見にくい人がいるというけれど、実際はみんな毎日夢を見ていて、覚醒したときにそれを覚えていられるか否かの差があるだけだ。忘れてしまえば見てないも同然ということ。疲れて睡眠が浅いときは夢を覚えていやすいというけれど、それが真実なら、僕は年中疲労困憊ということになってしまう。夢の見やすさは人によってかなり違うみたいで、友人の一人なんかはほとんど夢を見ないらしい。僕も昔から夢を見やすい体質だった訳ではなく、映画「インセプション」だったり、時々見る面白い夢だったりに影響されて、高校時代に夢に興味をもって色々していたらいつの間にかそういう体質になってしまった。

 夢の見方も人それぞれ違っていて興味深い。僕の夢の出演者たちは僕が現実で知っている人でほぼ構成されているが、知り合いは夢には出てこないという人もいる。僕の夢では、知り合いが出てきても人間関係までは正常ではなく、高校時代の友人と大学の友人との共演なんてのもよくある話だ。そんなカオスな状況でも夢の中では疑問符ひとつ浮かばずに受け入れてしまう。

 

 昔から僕の夢の中で一貫していることがある。何故か僕は夢の中だと走れない。何度も何度も走れない夢をみる。急いでいるときも、何かに追われて逃げているときも、どうしても走れない。プレッシャーに押しつぶされそうな陸上選手でもないのに何故か走れない。正確には、現実世界と同じような速さでは走れなくなる。いくら足を前に出して地面を押し返しても、なかなか前に進めない。水中を走っている感覚に一番近い。秒速5cmくらいで毎回もどかしくなるのがお決まりのパターン。

 それで、グーグル先生に相談してみたら、割と夢の中で走れない人多いらしい。夢のメカニズム的に難しいみたいなことが書いてある記事もあったけどよくわからん。夢占い的には、何か目標に達するのに障害やストレスを感じている、というような記事もあって、夢よく見るやつ疲れてる説とあいまって、大変な体だなあと、他人事のような感想しか抱けなかった。

 こうも長年走れないと、夢の中の僕もそこまで阿呆じゃなかったらしく、解決策をみつけた。二足歩行がダメなら四足歩行でどうだ、と試したら走れる走れる。これ分かってからは、夢の中でよく四足歩行してます。走らなきゃ、あ、やばい、全然進まね、こりゃ手も使って走るっきゃねえ、みたいな感じで。走れない人は是非試してほしい。

 

 他人の夢の話ほど無意味で生産性のない、つまらない話はないとはよく聞くが、雑談に関して言えば、他人の話なんて無意味で生産性のない話がほとんどで、面白いかどうかはその人の話し方しだいなところはある。夢の話=つまらない、は聞き手との親密度に依るのかな。確かに、あまり親しくない人に会話のネタがなくなったとしても、夢の話題を振る勇気はない。僕もたまに友達になら夢の話をする。ただ、夢の話題となれば、個人的な話の中でも、実際に起きているわけでもない頭の中の絵空事なので、話す相手は選ぶようにしている。なかなか話し甲斐のある夢を見たときは、「この前、面白い夢見てさあ…」で始められるが、特に興味深くもないけど話したいなあ、なんて夢を見たときは「この前、こんなことがあってさあ…。っていう夢みたんだけど、夢でよかった」みたいな、夢オチで終わらせることもある。夢オチパターンはたまにやるとヒットすることもあるのでおすすめ。

 

 夢につて書くきっかけが、最近初めて明晰夢をみたから。明晰夢って何、って夢について調べてみたことがない人は思うだろう。明晰夢とは、夢を見ていると自覚している状態で夢を見ることだ。中学生のkawaiiはふと思った、自我を保ったまま夢の世界に入ることができれば、ありとあらゆるものが思いのままになるのでは、と。そこで明晰夢というキーワードにたどり着いた。明晰夢はトレーニング次第では見られるようになるという情報を仕入れ、まだ見ぬ夢の世界へ思いを馳せるようになった。

 明晰夢をみるには大前提として、普通に夢を見られるようにならないといけなかった。そのために僕は夢日記なるものをつけてみた。枕元にノートとペンを置いておき、起きたら忘れる前に間髪入れずに夢の内容を書き記す。しかし、全然続かなかった。ただの日記ですら他人に見られたら恥ずかしいものを、カオスな夢の状況を綴ったものなど、この世界に存在させてたまるものか、と馬鹿々々しくなってしまった。実家暮らしの僕からしたら、母親という最大級の脅威は見逃せなかった。世に自らの恥部を晒す危険を冒さない別の方法をとることにした。その方法とは、二度寝で夢の続きをみることだ。二度寝といっても、完全に寝てしまわずに半分覚醒状態を保ったまま物語を進行させる。夢と現の狭間で、半身だけあちらの世界に入り込む。そうすることで、完全覚醒の際に夢を覚えていやすい。これは普段から、おしいところで朝が来てしまった時に自然としていたことなので難なくできた。そんなことをしているうちに、夢の毎日投稿機のような体になってしまった。

 さて、明晰夢を見る訓練の方はというと、まったく上手くいかず、努力が実を結ぶことはなかった。明晰夢を見るためにやったことは、映画「インセプション」を観たことがある人にはお馴染みのあの行為だ。インセプションの主人公はそれをコマでやっていた。夢の中ではコマは回り続ける。行為自体は何でもいいのだ。現実世界で簡単なルーティーンを繰り返し行い、その質感を記憶しておく。それを夢の中でやった時に、その質感の違いに気がつければ、夢を夢として認識できる。僕は夢判断機として、右手をつねるというのを数日やってみたが、どうも夢の中の僕は、手をつねることなんかより楽しいものがたくさんあったようだ。恐らく、癖のレベルまでしないと使えないようだ。そんなこんなで、明晰夢願望は抱きつつ、見る努力をするのはやめた。

 で、今に至って、ようやく何の前触れもなく明晰夢をみることができた。しかし、その一回きり。それにしても楽しかった。極悪人にも英雄にもなれたはずなのに、僕がやったことといえば、空を飛んだだけだった。だけど、五感はリアルを感じ取っていて気分は最高潮だった。夢の中で夢だと気付いた時には感動はなかったのに、目覚めた瞬間、「あ、もしかして明晰夢みれたんじゃないか」と長年の夢が叶って胸が躍った。

 

 明晰夢の他に、もう一つ夢の楽しみが僕にはある。夢の多重構造だ。これもまた、インセプションを観たことのある人なら知っているはず。インセプションを観たことがない人は超絶おすすめ映画なので観て損はしないと思う。夢の多重構造とは、つまり、夢の中で眠りにつき夢を見るということだ。普段見ている夢が第一階層、夢の中の自分が見ている夢が第二階層、というように、夢の深く深くへと潜っていくことだ。僕は人生で2度ほど、第二階層までいったことがある。夢から覚めて生活していたら、また夢から覚めた、という状況になる。

 映画内では、深い階層に行けば行くほど、その人の深層心理に近づけることになっているが、現実世界は映画とは異なる。夢の中では、寝て夢をみて起きるという動作が必ずしも一連にならないからだ。例えば、夢の中(第一階層)で寝なくとも、目が覚める夢を見てしまえば、覚める前が第二階層、覚めた後が第一階層となってしまう。反対に、第一階層で眠った夢を見て、第二階層の夢から目覚めても、第一階層に戻らず、現実の目覚めとなってしまうこともある。映画のように各階層がしっかりと区切られているわけではないので、第三階層以降に行くのはあまり意味がないと思っている。ここで重要なのは、「あれ、夢から覚めたと思ってたのにまだ夢の中だったんだ」という普段の夢では味わえない感覚だ。

 

 夢は誰しも毎日みるものだ(ほとんどは忘れてしまうかもしれないが)。仮構のもの、生産性のないもの、と片付ける前に、夢で遊んでみたらどうだろうか。まだ見ぬ奥深き世界が待っているかもしれない。夢をみないという人も、まずは夢に興味をもって、夢を見ようと向き合ってみる。そして、起きてすぐに布団の上で、あんなのが楽しかったなあ、なんて夢の振り返りをしてみる。

 まずはそこから。夢の中なら何でもできる、何でも叶う。

連想について

 朝、気持ち良く起床できた日は幸運である。それが休日なら尚良い。それが晴天ならもうその日は最後まで過ごさずとも良い日認定証書授与である。そんな日にはいつもはコーヒーだけで済ます朝食もせっかくだから食べようという気持ちになる。ということで今朝は最寄りの喫茶店で朝食と美味しいコーヒーを頂いてきた。

 喫茶展は四人掛けテーブル席ひとつ、二人掛けテーブル席三つ、カウンター席5つ程度のこじんまりとしたところだ。それに加えテレビが一台置いてある。僕と友達は二人席に腰掛け、僕がテレビに背を向けて座っていた。テレビでは大谷翔平がすごい!というような内容をやっていた、ざっくり言うと。野球に関しては、というかスポーツ観戦に関しては全くの門外漢であるため、大谷翔平がメジャーに行ったということでさえ、その時知った始末だ。大谷翔平の活躍を讃える報道をBGM代わりに、ホットドッグを食べた。ホットドッグを食べ終わる頃には大谷翔平の報道も終わり、次のコーナーに移っていた。百貨店で北海道物産展が絶賛開催中というものであった。僕は北海道出身でもなければ、北海道に強い憧れがあるわけでもなく、まして北海道に行ったことすらない。しかし、僕の頭は勝手に反応して、箪笥の奥の奥の、もう使うこともない高校時代の体操服並みにしっかりしまい込まれた昔の記憶を呼び起こしてきた。

 僕が反応したワードは「北海道」ではなく「北海道物産展」そのものであった。一度だけ北海道物産展で売っているお弁当を食べたことがある。僕自身が買いに行ったわけではなく、当時交際していた女の子がわざわざ買ってきてくれたのだ。僕が食べたいと言って買ってきてくれたのか、彼女が食べたくてついでに僕の分も買ってきてくれたのか。記憶は曖昧である。大学の授業期間内だったこともあり、僕らはそれを食堂の隅の方のテーブルで食べた。それがどこのテーブルでどの席に座ったかは、未だに覚えている。しかし、何の弁当を食べたか、何の話をしながら食べたか、何年生の頃の話なのか、それらは全く思い出せない。北海道物産展とその女の子と大学の食堂の隅の席だけが繋がっていた。

 連想は方向によって、強度が異なるというのが今日の気づき。AからBは連想されるが、BからAは出て来にくい、みたいなのがあると思う。日常生活ではあまり出番のない「北海道物産展」というキーワードから、食堂のあの席で一緒にいた思い出は出てきても、(一緒にお弁当を食べた記憶がしまわれている状態で)あの席を見て北海道物産展のことを思い出すことはなかっただろう、ということ。連想の不可逆性とでも言っておこうか。

 しかし、その不可逆性も、片方からの繋がりが弱いから生じてしまうことで、一度、繋がってしまえば、反対方向への連想強度は増強されるものだと思う。繋がりを認識してしまったことで、今まで食堂の席をみても何も想起されなかったのが、北海道物産展と彼女を想起させる逆トリガーとなってしまったかもしれない、まだわからないが。

 この件を忘れたころ、食堂のその席を通りかかって、ふと北海道がでてきたらそういうことだろう。

洗濯について

母は偉大である、しかしその偉大さ故、一緒に住んでいる時には気づけないものである。概して、大きなものは近すぎてはその全貌を視野に収めきることができず、離れてみて初めてその大きさに驚くものである。料理しかり、掃除しかり、洗濯しかり。母は偉大である。


上の三大家事の中でも、もっとも地味なのが洗濯だろう。洗濯だけが頭も使わず心も踊らず、誰でも洗濯機とお日さまさえあれば出来てしまう。玄人と素人のクオリティの差が他と比べて極端に狭い気がする。RTAするくらいしかやりがいがないんじゃないか。

 

洗濯は棚に収納するまでが洗濯です。
洗濯と言われれば、衣類の汚れを落とす作業のことだと認識するだろう。衣類を洗濯機に放り込み、洗剤と柔軟剤を適量入れて、スタートボタンを押す、あとは洗濯機からの終了の合図を待つだけ。至って簡単。しかし、ここで洗濯が終わればどれだけ楽か。洗濯と言っておきながら、めんどくささの大半は干すのと畳むのが担っている。幾度となく洗濯終了の合図を無視し、無駄な二度目三度目の洗濯スタートボタンを押したことか。干すという第1の壁を越えたとしても、待ち受ける第2の壁、畳むという作業。外に干した洗濯物を取り込んでソファに放り投げればいい方で、その日に着るものを物干し竿からそのまま取ってくるのなんてざら。一人暮らしの男性諸君ならわかってもらえるはず。

 

洗濯も科学の進歩によって昔と比べるととてもとても負担が少なくなったと思う。むかしむかし、川から桃が流れてくるような時代には川で洗濯していた訳だし。場所が違えば、今でもガンジス川で子どもたちが水浴びする傍ら、生活排水が垂れ流しの水に洗剤を混ぜながら手揉みで洗ってるところもある。
干すのも予算があれば乾燥機付きの洗濯機を買えば、幾分楽ができる。

畳むも自動化する未来よ、早く来い。

 

洗濯に追究の余地はあるのかどうか。洗濯のプロといえば、クリーニング屋さんが思い付くが、常時洗濯をクリーニング屋に任せる人など少なくとも僕の周りにはいない。クリーニング屋の出番といえば、コートとかスーツくらいだ。プロに任せたから洗濯のレベルが上がるというよりは、分業ができてると言ったほうがいい。家庭レベルでの洗濯の向上は、洗剤にこだわるとか、素材によって洗い方を変えるとか。
ここまで書いて、ふと気づいたけど、僕が服とかファッションに興味がないのが問題なのかもしれない。裾の白いびろびろの説明に従って洗濯なんてしたことないし。別にいい衣類を見に纏ってる訳でもないので、洗濯がもっとも簡単な最低レベルで満足してしまっている。衣服に愛がないから。

 

良い物を着るようになれば、もう少しは洗濯に興味を持てるようになるのかな。

 

サウナについて

 つい先日、友人と喫茶店でおしゃべりしていて、「kawaiiはトリップ系好きすぎんか?」と言われ、え、みんな好きなのでは?と。トリップ系というと、クスリなんかを連想してしまいがちだけど、ダメ、絶対のやつではないのでご安心を。ここでいうトリップ系とは、脳内を脳汁でどっぷり浸して、日々のしがらみ、悩み、ストレスなどを一切合切ぽーっんと投げ捨てて、リセットするようなことを言う。つまり、意識をぶっ飛ばすということだ。

 

 人間誰しも気持ちよくなってしまうことは好きでしょ。例えば、スポーツで汗ながして爽快な気分になるのなんて誰でも経験はあることだと思う。ランニングしていると頭がスッキリしてきて、肺も足もしんどいけど、気持ちは高揚してくる。他にも、セックスなんてのは気持ちいいの代名詞で、人によるだろうけど、相性さえ良ければ気持ちよくなれる。でも、スポーツで気持ちよくなろうとすると、体力的にしんどかったりするし、今の季節、寒さで重い腰が上がらないなんてことも多々あるはず。セックスもお相手が、しかも高いシンクロ率を出せるお相手がいないとそこまで至れない。状況によっては色々と障害が立ちふさがる。そこで、今回の本題である、お手軽で一人でも気持ちよくなれるサウナの魅力を書いていこうと思う。

 

 ここまで、サウナ最高みたいな雰囲気で書き進めていきそうな僕も、サウナ入門は2、3年前で大学生になって、スーパー銭湯に行くようになってからサウナの良さに気づいた。なので、まだまだサウナ初心者ではあるが、色々な人にサウナーになってもらうべく、kawaii流初めてのサウナ指南書なるものを書いていく。ちなみに、ガチのサウナ店には行ったことがないので、スーパー銭湯の一施設としてのサウナを前提に紹介していく。

 

 ①身体を洗おう

まず、普段の銭湯に入る時と同じように、頭と身体を洗う。ここはマナーの問題なので、「俺は掛け湯だけして、最後に洗うんじゃ」という人はご自由に。

 

 ②湯に浸かろう

身を清め終わったら、いきなりサウナに入らず、湯で身体を温める。ここでしっかり、身体の芯から温めておくことで、サウナに入ってすぐに汗がかけるようになる。逆に、ここの湯に浸かるのをおろそかにすると、サウナで十分に汗をかく前に、暑さに耐えきれなくなってしまい、水風呂が冷たく苦痛になるので注意。風呂は心の洗濯とも言うように、お湯に浸かるだけでも気持ちよくなってしまうが、より高みを目指して、20分前後を目安にのぼせる前にサウナへ向かう。

 

 ③サウナに入ろう

いざ、サウナ入室、の前に、持ち込んだタオルで身体についた水滴を拭いておく。水滴がついてると汗をかきにくくなる。身体についた水分の気化熱が〜とか関係してるのかも。そして、やっとのことで、サウナへ。サウナに入ったことある人は知っいてると思うけど、サウナの中は階段状になっていて、上に行くほど高温になる。空いていたらもちろん最上段を確保する。誰も先客がいなかったりすると、やったあ独り占めだと嬉しくなったりもする。けれど、だいたいはおっさんが何人かいるし、時々寝てるおじさんもいる。

サウナにかけてある時計は秒針と分針のみで、分針は12分で一周する。サウナの温度も施設によって違うので、自分のペースでどれだけ入るか決めればいいけど、無理しすぎると倒れてしまうし、短すぎると水風呂に入った時に寒すぎる。ちょっとしんどくなってきたけど、まだそんな時間経ってないし、あの人が出たら自分も出ようなんて考えていると、猛者が相手だったりするので、我慢比べはほどほどに。だいたい、汗がにじんできて、タオルで拭いて、もう一度にじんできたくらいが出るタイミングには良いかも。

暑い中、じりじりと耐え汗をかくのが、第一の気持ちいいポイント。でもまだ汗をかいただけで、ここではサウナの気持ちよさの一割くらいしかまだ味わえていない。サウナという行為はサウナという施設だけでは完結しないのだ。

 

 ④水風呂に入ろう

限界まで耐え忍んで、やっとの事で常温の外気に身をさらすことができたら、隣の水風呂へ。非サウナーは口を揃えて、水風呂は苦手というが、水風呂がなかったらサウナに入る意味がない。水風呂に入るためにサウナに入るといっても過言ではない。暑さを我慢し汗をダラダラに流して、そのご褒美が水風呂だ。

水風呂に入った瞬間、「んああーーー」と自然に口から言葉になり損ねた言葉たちが出てくる。身体中の細胞がびっくりして踊りだす。筋肉は水風呂の冷たさに緊張する。頭蓋骨の中からは、じわじわと脳汁の滲み出るのが伝わる。頭の中が真っ白になって、すべてのことが頭から抜けて、生まれ変わったかのような感覚になる。ここが第二の気持ちいいポイント。ここで微トリップできる。でも、まだまだ脳汁も滲み出る程度で、サウナの気持ちよさの三割。

 

 ⑤座って外気浴しよう

2、3分水風呂に浸かったら、身体が冷え切ってしまわないうちに出て、座れる場所を探す。あとはただただ脱力して座るだけ。背もたれがあると尚よし、寝転がると帰ってこれなくなる。身体の芯がしっかりと温まっていれば、身体の内からぽかぽかぽかじわじわじわと温かくなってくる。身体も頭も脱力して、意識がふわっふわして、視界がとろんとして、自分の身体を含めて世界のすべてがとろけてくる。ここにきて脳汁のダムが決壊してドバドバと溢れ出す。まさに合法麻薬。もう意識はそこにはなく、この世のどこかにトリップしてしまう。この瞬間のためにサウナに入っている、サウナのクライマックス。ここが第三の気持ちいいポイント。サウナの6割の気持ち良さはここに集約されている。このトリップを一度味わってしまえば、サウナが好きじゃないなんて言えなくなる。

 

あとは、自分の体力が続く限り、③→④→⑤をセットで繰り返す。自分次第で何度でもトリップできる。これ以上お手軽で安全なトリップ方法を僕は知らない。

十分、サウナを楽しんだら最後にお湯で身体を温めて銭湯終了と。

 

 

 ひとつ注意としては、セット間には水分補給は忘れずしたほうがいい。サウナーの中には、水分とらずに汗を絞り出して、身体をカラッカラにして、銭湯からでた直後のビールを楽しみにしている人もいるけど、心臓病への特急券なので参考にしないほうがいい。

 

 

 これでサウナ入ってみようかなと思う人が少しでもいれば、欲をいえば、サウナの魅力発見のきっかけになってくれれば幸いかな。

 

あけまして2019

新年明けましておめでとうございます。
2019年も何卒よろしくお願いします。


年末年始には毎年欠かさず帰省していて今年もそれは変わることなく、在来線で帰ってこいと言われていたけれど、時は金なり、否、時は金以上なり精神で、Huluでアニメを観ながら新幹線でささっと帰った。早く帰ったとて、ニートととしての存在時間が少しばかり増えるだけなんだけども。


今思えば、2018年の振り返りとか記事にしてもよかったなあ、なんて頭によぎらなかったこともないけど、どうせろくな一年じゃなかったので、今さら書く気にもならず、前を向いて生きていこうじゃないか。


いつもと違う年末のイベントとしては、髪の毛を染めてみたこと。浪人していた時に茶髪にはしたことあったけど、金髪は初めてだった。ハゲ進行の恐怖に日々脅えている僕からしたら寿命を縮めかねない一歩だった。染髪の理由としては、やったことをないことをしてみたかった好奇心が大部分。田舎のヤンキーへの憧れがあったわけではなく(実家が田舎だから金髪にすれば自動的に田舎のヤンキーの完成)、RIZINで勇敢にもメイウェザーに立ち向かった那須川天心を讃えてのことでもない(階級とか何もしらなかったから、即負けたのは驚いた)。


短期集中パツキン野郎になるべく、頭皮と毛根には犠牲になってもらった。ブリーチを2回して髪は傷みに傷んで瀕死の10万本の髪の毛がうまれ、頭皮は悲鳴をあげ世紀末状態になり、毛根たちは静かに息を引き取っていた。まあ、日本人に生まれ落ちたときからわかってはいたけど、まぁ、似合わない。顔が薄いのに髪色まで薄くしたら、首から上なんてないも同然の疑似デュラハンだよ。友達には病人みたいと言われ、親にはDQNと言われ、祖父には歌でも歌ってるのか?と言われ、もう一生しないだろう。金髪使ったあけおめツイートも評判よろしくなさげだし、やっぱり二度としないだろう。

 

地元の旧友たちと初詣に行って、もっぱらの話は誰々が結婚しただの、子どもができただの。もうそんな年齢にもなり、世間一般では結婚適齢期になってしまった。焦りはないけど、輪郭さえ認識できないほどぼやけた結婚というワードに虚しさを覚えた。みんな僕をおいてどんどん大人になってゆく。

 

2019年の抱負、意気込みでも書いとくか。
まず、このブログの更新かな。2018年後半はもうぴたっと更新止まって年末にも1個書くと宣言したにも関わらず書かずじまいで。
週1更新ペースで1年で50個を目標にやっていこう。
他には、芸術方面の教養をつけたいかな、と。音楽、絵、映画、読書、とか漫画やアニメも。インプットしまくりたい。人と話して大抵の話題は議論できるくらいには話題プール(話題のひきだし)を広げたい。関連してデザインの勉強もしたい。
あとは、鬱にならないことかな。精神的健常者で1年を走りきれたらいいな。

本当にあやしい"卒業すること"とは書かないでおく。