夢について

夢はそれが夢だと認識できないからこそいい

夢がまだ夢であるうちはそれが現実

なぜ、あなたがそこにいるのかという疑問など一切なく

目が覚めてやっと気がつく

ああ夢だったのか、と

こっちが僕の現実か、と

 

 僕はほとんど毎日夢を見る。夢といっても寝る時に見る夢だ。未来が明るい夢見る青年とは真反対の人間だが、寝ればあちらの世界の住人となる。自分の頭の中だけの冒険譚のはずなのに、その範疇を超えたカオスな世界が構築されるのが夢のいいところだ。だから、夢をみてしまう体質を恨むことになるなんて少し前までは考えもしなかった。

 まーた、kawaiiの失恋話か、と嫌気が差した読者は次のブロックまでスクロールしなさい。いずれ恋愛小説を書こうとした時に役に立つかもしれないから書かせてくれ。

 別れてすぐは毎日のように彼女が夢に現れた。大抵は恋人の関係のままの恋人が。現実世界であれだけ絶望しておきながら、夢には偽りの光が差していた。夢の中では、それが夢だと気づかない限り、そこが現実。夢の中の僕は数時間前までの苦悩がまるでなかったかのように元恋人と過ごす。あの日から時が止まったままの彼女と。しかし、覚めない夢はない。新しい朝が来た、希望の朝だ、なんていうのは嘘っぱちで、心地よい虚構から一気に突き落とされる。死にたい朝が来た、絶望の朝だ。毎日、夢と現実の落差で胸が締め付けられる所から始まる。想い人が夢に出てきたからといって、夢から覚めなければいいのに、うふふ、なんて、憧れのあの人に恋する少女のようなことにはならず、もう出てこないでくれと何度願ったことか。夢を見ないようにするには寝ない以外の方法がなく、お手上げだった。以前、失恋をテーマに記事を書いた時に、生活から元恋人の存在を消し去れ、と書いたがこればかりは抗えなかった。

 結局、解決策はみつからないまま、時間だけが過ぎていき、半年もすれば、眠ることも怖くなくなり、起床も普段通りにできるようになった。確実に、夢をみやすい体質は苦しい日々が長引いた一因だと言える。夢をほとんどみないような人を羨んだのはこれが初めてだった。

 

はい、ここから本番。

 

 夢を見やすい人と見にくい人がいるというけれど、実際はみんな毎日夢を見ていて、覚醒したときにそれを覚えていられるか否かの差があるだけだ。忘れてしまえば見てないも同然ということ。疲れて睡眠が浅いときは夢を覚えていやすいというけれど、それが真実なら、僕は年中疲労困憊ということになってしまう。夢の見やすさは人によってかなり違うみたいで、友人の一人なんかはほとんど夢を見ないらしい。僕も昔から夢を見やすい体質だった訳ではなく、映画「インセプション」だったり、時々見る面白い夢だったりに影響されて、高校時代に夢に興味をもって色々していたらいつの間にかそういう体質になってしまった。

 夢の見方も人それぞれ違っていて興味深い。僕の夢の出演者たちは僕が現実で知っている人でほぼ構成されているが、知り合いは夢には出てこないという人もいる。僕の夢では、知り合いが出てきても人間関係までは正常ではなく、高校時代の友人と大学の友人との共演なんてのもよくある話だ。そんなカオスな状況でも夢の中では疑問符ひとつ浮かばずに受け入れてしまう。

 

 昔から僕の夢の中で一貫していることがある。何故か僕は夢の中だと走れない。何度も何度も走れない夢をみる。急いでいるときも、何かに追われて逃げているときも、どうしても走れない。プレッシャーに押しつぶされそうな陸上選手でもないのに何故か走れない。正確には、現実世界と同じような速さでは走れなくなる。いくら足を前に出して地面を押し返しても、なかなか前に進めない。水中を走っている感覚に一番近い。秒速5cmくらいで毎回もどかしくなるのがお決まりのパターン。

 それで、グーグル先生に相談してみたら、割と夢の中で走れない人多いらしい。夢のメカニズム的に難しいみたいなことが書いてある記事もあったけどよくわからん。夢占い的には、何か目標に達するのに障害やストレスを感じている、というような記事もあって、夢よく見るやつ疲れてる説とあいまって、大変な体だなあと、他人事のような感想しか抱けなかった。

 こうも長年走れないと、夢の中の僕もそこまで阿呆じゃなかったらしく、解決策をみつけた。二足歩行がダメなら四足歩行でどうだ、と試したら走れる走れる。これ分かってからは、夢の中でよく四足歩行してます。走らなきゃ、あ、やばい、全然進まね、こりゃ手も使って走るっきゃねえ、みたいな感じで。走れない人は是非試してほしい。

 

 他人の夢の話ほど無意味で生産性のない、つまらない話はないとはよく聞くが、雑談に関して言えば、他人の話なんて無意味で生産性のない話がほとんどで、面白いかどうかはその人の話し方しだいなところはある。夢の話=つまらない、は聞き手との親密度に依るのかな。確かに、あまり親しくない人に会話のネタがなくなったとしても、夢の話題を振る勇気はない。僕もたまに友達になら夢の話をする。ただ、夢の話題となれば、個人的な話の中でも、実際に起きているわけでもない頭の中の絵空事なので、話す相手は選ぶようにしている。なかなか話し甲斐のある夢を見たときは、「この前、面白い夢見てさあ…」で始められるが、特に興味深くもないけど話したいなあ、なんて夢を見たときは「この前、こんなことがあってさあ…。っていう夢みたんだけど、夢でよかった」みたいな、夢オチで終わらせることもある。夢オチパターンはたまにやるとヒットすることもあるのでおすすめ。

 

 夢につて書くきっかけが、最近初めて明晰夢をみたから。明晰夢って何、って夢について調べてみたことがない人は思うだろう。明晰夢とは、夢を見ていると自覚している状態で夢を見ることだ。中学生のkawaiiはふと思った、自我を保ったまま夢の世界に入ることができれば、ありとあらゆるものが思いのままになるのでは、と。そこで明晰夢というキーワードにたどり着いた。明晰夢はトレーニング次第では見られるようになるという情報を仕入れ、まだ見ぬ夢の世界へ思いを馳せるようになった。

 明晰夢をみるには大前提として、普通に夢を見られるようにならないといけなかった。そのために僕は夢日記なるものをつけてみた。枕元にノートとペンを置いておき、起きたら忘れる前に間髪入れずに夢の内容を書き記す。しかし、全然続かなかった。ただの日記ですら他人に見られたら恥ずかしいものを、カオスな夢の状況を綴ったものなど、この世界に存在させてたまるものか、と馬鹿々々しくなってしまった。実家暮らしの僕からしたら、母親という最大級の脅威は見逃せなかった。世に自らの恥部を晒す危険を冒さない別の方法をとることにした。その方法とは、二度寝で夢の続きをみることだ。二度寝といっても、完全に寝てしまわずに半分覚醒状態を保ったまま物語を進行させる。夢と現の狭間で、半身だけあちらの世界に入り込む。そうすることで、完全覚醒の際に夢を覚えていやすい。これは普段から、おしいところで朝が来てしまった時に自然としていたことなので難なくできた。そんなことをしているうちに、夢の毎日投稿機のような体になってしまった。

 さて、明晰夢を見る訓練の方はというと、まったく上手くいかず、努力が実を結ぶことはなかった。明晰夢を見るためにやったことは、映画「インセプション」を観たことがある人にはお馴染みのあの行為だ。インセプションの主人公はそれをコマでやっていた。夢の中ではコマは回り続ける。行為自体は何でもいいのだ。現実世界で簡単なルーティーンを繰り返し行い、その質感を記憶しておく。それを夢の中でやった時に、その質感の違いに気がつければ、夢を夢として認識できる。僕は夢判断機として、右手をつねるというのを数日やってみたが、どうも夢の中の僕は、手をつねることなんかより楽しいものがたくさんあったようだ。恐らく、癖のレベルまでしないと使えないようだ。そんなこんなで、明晰夢願望は抱きつつ、見る努力をするのはやめた。

 で、今に至って、ようやく何の前触れもなく明晰夢をみることができた。しかし、その一回きり。それにしても楽しかった。極悪人にも英雄にもなれたはずなのに、僕がやったことといえば、空を飛んだだけだった。だけど、五感はリアルを感じ取っていて気分は最高潮だった。夢の中で夢だと気付いた時には感動はなかったのに、目覚めた瞬間、「あ、もしかして明晰夢みれたんじゃないか」と長年の夢が叶って胸が躍った。

 

 明晰夢の他に、もう一つ夢の楽しみが僕にはある。夢の多重構造だ。これもまた、インセプションを観たことのある人なら知っているはず。インセプションを観たことがない人は超絶おすすめ映画なので観て損はしないと思う。夢の多重構造とは、つまり、夢の中で眠りにつき夢を見るということだ。普段見ている夢が第一階層、夢の中の自分が見ている夢が第二階層、というように、夢の深く深くへと潜っていくことだ。僕は人生で2度ほど、第二階層までいったことがある。夢から覚めて生活していたら、また夢から覚めた、という状況になる。

 映画内では、深い階層に行けば行くほど、その人の深層心理に近づけることになっているが、現実世界は映画とは異なる。夢の中では、寝て夢をみて起きるという動作が必ずしも一連にならないからだ。例えば、夢の中(第一階層)で寝なくとも、目が覚める夢を見てしまえば、覚める前が第二階層、覚めた後が第一階層となってしまう。反対に、第一階層で眠った夢を見て、第二階層の夢から目覚めても、第一階層に戻らず、現実の目覚めとなってしまうこともある。映画のように各階層がしっかりと区切られているわけではないので、第三階層以降に行くのはあまり意味がないと思っている。ここで重要なのは、「あれ、夢から覚めたと思ってたのにまだ夢の中だったんだ」という普段の夢では味わえない感覚だ。

 

 夢は誰しも毎日みるものだ(ほとんどは忘れてしまうかもしれないが)。仮構のもの、生産性のないもの、と片付ける前に、夢で遊んでみたらどうだろうか。まだ見ぬ奥深き世界が待っているかもしれない。夢をみないという人も、まずは夢に興味をもって、夢を見ようと向き合ってみる。そして、起きてすぐに布団の上で、あんなのが楽しかったなあ、なんて夢の振り返りをしてみる。

 まずはそこから。夢の中なら何でもできる、何でも叶う。

連想について

 朝、気持ち良く起床できた日は幸運である。それが休日なら尚良い。それが晴天ならもうその日は最後まで過ごさずとも良い日認定証書授与である。そんな日にはいつもはコーヒーだけで済ます朝食もせっかくだから食べようという気持ちになる。ということで今朝は最寄りの喫茶店で朝食と美味しいコーヒーを頂いてきた。

 喫茶展は四人掛けテーブル席ひとつ、二人掛けテーブル席三つ、カウンター席5つ程度のこじんまりとしたところだ。それに加えテレビが一台置いてある。僕と友達は二人席に腰掛け、僕がテレビに背を向けて座っていた。テレビでは大谷翔平がすごい!というような内容をやっていた、ざっくり言うと。野球に関しては、というかスポーツ観戦に関しては全くの門外漢であるため、大谷翔平がメジャーに行ったということでさえ、その時知った始末だ。大谷翔平の活躍を讃える報道をBGM代わりに、ホットドッグを食べた。ホットドッグを食べ終わる頃には大谷翔平の報道も終わり、次のコーナーに移っていた。百貨店で北海道物産展が絶賛開催中というものであった。僕は北海道出身でもなければ、北海道に強い憧れがあるわけでもなく、まして北海道に行ったことすらない。しかし、僕の頭は勝手に反応して、箪笥の奥の奥の、もう使うこともない高校時代の体操服並みにしっかりしまい込まれた昔の記憶を呼び起こしてきた。

 僕が反応したワードは「北海道」ではなく「北海道物産展」そのものであった。一度だけ北海道物産展で売っているお弁当を食べたことがある。僕自身が買いに行ったわけではなく、当時交際していた女の子がわざわざ買ってきてくれたのだ。僕が食べたいと言って買ってきてくれたのか、彼女が食べたくてついでに僕の分も買ってきてくれたのか。記憶は曖昧である。大学の授業期間内だったこともあり、僕らはそれを食堂の隅の方のテーブルで食べた。それがどこのテーブルでどの席に座ったかは、未だに覚えている。しかし、何の弁当を食べたか、何の話をしながら食べたか、何年生の頃の話なのか、それらは全く思い出せない。北海道物産展とその女の子と大学の食堂の隅の席だけが繋がっていた。

 連想は方向によって、強度が異なるというのが今日の気づき。AからBは連想されるが、BからAは出て来にくい、みたいなのがあると思う。日常生活ではあまり出番のない「北海道物産展」というキーワードから、食堂のあの席で一緒にいた思い出は出てきても、(一緒にお弁当を食べた記憶がしまわれている状態で)あの席を見て北海道物産展のことを思い出すことはなかっただろう、ということ。連想の不可逆性とでも言っておこうか。

 しかし、その不可逆性も、片方からの繋がりが弱いから生じてしまうことで、一度、繋がってしまえば、反対方向への連想強度は増強されるものだと思う。繋がりを認識してしまったことで、今まで食堂の席をみても何も想起されなかったのが、北海道物産展と彼女を想起させる逆トリガーとなってしまったかもしれない、まだわからないが。

 この件を忘れたころ、食堂のその席を通りかかって、ふと北海道がでてきたらそういうことだろう。

洗濯について

母は偉大である、しかしその偉大さ故、一緒に住んでいる時には気づけないものである。概して、大きなものは近すぎてはその全貌を視野に収めきることができず、離れてみて初めてその大きさに驚くものである。料理しかり、掃除しかり、洗濯しかり。母は偉大である。


上の三大家事の中でも、もっとも地味なのが洗濯だろう。洗濯だけが頭も使わず心も踊らず、誰でも洗濯機とお日さまさえあれば出来てしまう。玄人と素人のクオリティの差が他と比べて極端に狭い気がする。RTAするくらいしかやりがいがないんじゃないか。

 

洗濯は棚に収納するまでが洗濯です。
洗濯と言われれば、衣類の汚れを落とす作業のことだと認識するだろう。衣類を洗濯機に放り込み、洗剤と柔軟剤を適量入れて、スタートボタンを押す、あとは洗濯機からの終了の合図を待つだけ。至って簡単。しかし、ここで洗濯が終わればどれだけ楽か。洗濯と言っておきながら、めんどくささの大半は干すのと畳むのが担っている。幾度となく洗濯終了の合図を無視し、無駄な二度目三度目の洗濯スタートボタンを押したことか。干すという第1の壁を越えたとしても、待ち受ける第2の壁、畳むという作業。外に干した洗濯物を取り込んでソファに放り投げればいい方で、その日に着るものを物干し竿からそのまま取ってくるのなんてざら。一人暮らしの男性諸君ならわかってもらえるはず。

 

洗濯も科学の進歩によって昔と比べるととてもとても負担が少なくなったと思う。むかしむかし、川から桃が流れてくるような時代には川で洗濯していた訳だし。場所が違えば、今でもガンジス川で子どもたちが水浴びする傍ら、生活排水が垂れ流しの水に洗剤を混ぜながら手揉みで洗ってるところもある。
干すのも予算があれば乾燥機付きの洗濯機を買えば、幾分楽ができる。

畳むも自動化する未来よ、早く来い。

 

洗濯に追究の余地はあるのかどうか。洗濯のプロといえば、クリーニング屋さんが思い付くが、常時洗濯をクリーニング屋に任せる人など少なくとも僕の周りにはいない。クリーニング屋の出番といえば、コートとかスーツくらいだ。プロに任せたから洗濯のレベルが上がるというよりは、分業ができてると言ったほうがいい。家庭レベルでの洗濯の向上は、洗剤にこだわるとか、素材によって洗い方を変えるとか。
ここまで書いて、ふと気づいたけど、僕が服とかファッションに興味がないのが問題なのかもしれない。裾の白いびろびろの説明に従って洗濯なんてしたことないし。別にいい衣類を見に纏ってる訳でもないので、洗濯がもっとも簡単な最低レベルで満足してしまっている。衣服に愛がないから。

 

良い物を着るようになれば、もう少しは洗濯に興味を持てるようになるのかな。

 

サウナについて

 つい先日、友人と喫茶店でおしゃべりしていて、「kawaiiはトリップ系好きすぎんか?」と言われ、え、みんな好きなのでは?と。トリップ系というと、クスリなんかを連想してしまいがちだけど、ダメ、絶対のやつではないのでご安心を。ここでいうトリップ系とは、脳内を脳汁でどっぷり浸して、日々のしがらみ、悩み、ストレスなどを一切合切ぽーっんと投げ捨てて、リセットするようなことを言う。つまり、意識をぶっ飛ばすということだ。

 

 人間誰しも気持ちよくなってしまうことは好きでしょ。例えば、スポーツで汗ながして爽快な気分になるのなんて誰でも経験はあることだと思う。ランニングしていると頭がスッキリしてきて、肺も足もしんどいけど、気持ちは高揚してくる。他にも、セックスなんてのは気持ちいいの代名詞で、人によるだろうけど、相性さえ良ければ気持ちよくなれる。でも、スポーツで気持ちよくなろうとすると、体力的にしんどかったりするし、今の季節、寒さで重い腰が上がらないなんてことも多々あるはず。セックスもお相手が、しかも高いシンクロ率を出せるお相手がいないとそこまで至れない。状況によっては色々と障害が立ちふさがる。そこで、今回の本題である、お手軽で一人でも気持ちよくなれるサウナの魅力を書いていこうと思う。

 

 ここまで、サウナ最高みたいな雰囲気で書き進めていきそうな僕も、サウナ入門は2、3年前で大学生になって、スーパー銭湯に行くようになってからサウナの良さに気づいた。なので、まだまだサウナ初心者ではあるが、色々な人にサウナーになってもらうべく、kawaii流初めてのサウナ指南書なるものを書いていく。ちなみに、ガチのサウナ店には行ったことがないので、スーパー銭湯の一施設としてのサウナを前提に紹介していく。

 

 ①身体を洗おう

まず、普段の銭湯に入る時と同じように、頭と身体を洗う。ここはマナーの問題なので、「俺は掛け湯だけして、最後に洗うんじゃ」という人はご自由に。

 

 ②湯に浸かろう

身を清め終わったら、いきなりサウナに入らず、湯で身体を温める。ここでしっかり、身体の芯から温めておくことで、サウナに入ってすぐに汗がかけるようになる。逆に、ここの湯に浸かるのをおろそかにすると、サウナで十分に汗をかく前に、暑さに耐えきれなくなってしまい、水風呂が冷たく苦痛になるので注意。風呂は心の洗濯とも言うように、お湯に浸かるだけでも気持ちよくなってしまうが、より高みを目指して、20分前後を目安にのぼせる前にサウナへ向かう。

 

 ③サウナに入ろう

いざ、サウナ入室、の前に、持ち込んだタオルで身体についた水滴を拭いておく。水滴がついてると汗をかきにくくなる。身体についた水分の気化熱が〜とか関係してるのかも。そして、やっとのことで、サウナへ。サウナに入ったことある人は知っいてると思うけど、サウナの中は階段状になっていて、上に行くほど高温になる。空いていたらもちろん最上段を確保する。誰も先客がいなかったりすると、やったあ独り占めだと嬉しくなったりもする。けれど、だいたいはおっさんが何人かいるし、時々寝てるおじさんもいる。

サウナにかけてある時計は秒針と分針のみで、分針は12分で一周する。サウナの温度も施設によって違うので、自分のペースでどれだけ入るか決めればいいけど、無理しすぎると倒れてしまうし、短すぎると水風呂に入った時に寒すぎる。ちょっとしんどくなってきたけど、まだそんな時間経ってないし、あの人が出たら自分も出ようなんて考えていると、猛者が相手だったりするので、我慢比べはほどほどに。だいたい、汗がにじんできて、タオルで拭いて、もう一度にじんできたくらいが出るタイミングには良いかも。

暑い中、じりじりと耐え汗をかくのが、第一の気持ちいいポイント。でもまだ汗をかいただけで、ここではサウナの気持ちよさの一割くらいしかまだ味わえていない。サウナという行為はサウナという施設だけでは完結しないのだ。

 

 ④水風呂に入ろう

限界まで耐え忍んで、やっとの事で常温の外気に身をさらすことができたら、隣の水風呂へ。非サウナーは口を揃えて、水風呂は苦手というが、水風呂がなかったらサウナに入る意味がない。水風呂に入るためにサウナに入るといっても過言ではない。暑さを我慢し汗をダラダラに流して、そのご褒美が水風呂だ。

水風呂に入った瞬間、「んああーーー」と自然に口から言葉になり損ねた言葉たちが出てくる。身体中の細胞がびっくりして踊りだす。筋肉は水風呂の冷たさに緊張する。頭蓋骨の中からは、じわじわと脳汁の滲み出るのが伝わる。頭の中が真っ白になって、すべてのことが頭から抜けて、生まれ変わったかのような感覚になる。ここが第二の気持ちいいポイント。ここで微トリップできる。でも、まだまだ脳汁も滲み出る程度で、サウナの気持ちよさの三割。

 

 ⑤座って外気浴しよう

2、3分水風呂に浸かったら、身体が冷え切ってしまわないうちに出て、座れる場所を探す。あとはただただ脱力して座るだけ。背もたれがあると尚よし、寝転がると帰ってこれなくなる。身体の芯がしっかりと温まっていれば、身体の内からぽかぽかぽかじわじわじわと温かくなってくる。身体も頭も脱力して、意識がふわっふわして、視界がとろんとして、自分の身体を含めて世界のすべてがとろけてくる。ここにきて脳汁のダムが決壊してドバドバと溢れ出す。まさに合法麻薬。もう意識はそこにはなく、この世のどこかにトリップしてしまう。この瞬間のためにサウナに入っている、サウナのクライマックス。ここが第三の気持ちいいポイント。サウナの6割の気持ち良さはここに集約されている。このトリップを一度味わってしまえば、サウナが好きじゃないなんて言えなくなる。

 

あとは、自分の体力が続く限り、③→④→⑤をセットで繰り返す。自分次第で何度でもトリップできる。これ以上お手軽で安全なトリップ方法を僕は知らない。

十分、サウナを楽しんだら最後にお湯で身体を温めて銭湯終了と。

 

 

 ひとつ注意としては、セット間には水分補給は忘れずしたほうがいい。サウナーの中には、水分とらずに汗を絞り出して、身体をカラッカラにして、銭湯からでた直後のビールを楽しみにしている人もいるけど、心臓病への特急券なので参考にしないほうがいい。

 

 

 これでサウナ入ってみようかなと思う人が少しでもいれば、欲をいえば、サウナの魅力発見のきっかけになってくれれば幸いかな。

 

あけまして2019

新年明けましておめでとうございます。
2019年も何卒よろしくお願いします。


年末年始には毎年欠かさず帰省していて今年もそれは変わることなく、在来線で帰ってこいと言われていたけれど、時は金なり、否、時は金以上なり精神で、Huluでアニメを観ながら新幹線でささっと帰った。早く帰ったとて、ニートととしての存在時間が少しばかり増えるだけなんだけども。


今思えば、2018年の振り返りとか記事にしてもよかったなあ、なんて頭によぎらなかったこともないけど、どうせろくな一年じゃなかったので、今さら書く気にもならず、前を向いて生きていこうじゃないか。


いつもと違う年末のイベントとしては、髪の毛を染めてみたこと。浪人していた時に茶髪にはしたことあったけど、金髪は初めてだった。ハゲ進行の恐怖に日々脅えている僕からしたら寿命を縮めかねない一歩だった。染髪の理由としては、やったことをないことをしてみたかった好奇心が大部分。田舎のヤンキーへの憧れがあったわけではなく(実家が田舎だから金髪にすれば自動的に田舎のヤンキーの完成)、RIZINで勇敢にもメイウェザーに立ち向かった那須川天心を讃えてのことでもない(階級とか何もしらなかったから、即負けたのは驚いた)。


短期集中パツキン野郎になるべく、頭皮と毛根には犠牲になってもらった。ブリーチを2回して髪は傷みに傷んで瀕死の10万本の髪の毛がうまれ、頭皮は悲鳴をあげ世紀末状態になり、毛根たちは静かに息を引き取っていた。まあ、日本人に生まれ落ちたときからわかってはいたけど、まぁ、似合わない。顔が薄いのに髪色まで薄くしたら、首から上なんてないも同然の疑似デュラハンだよ。友達には病人みたいと言われ、親にはDQNと言われ、祖父には歌でも歌ってるのか?と言われ、もう一生しないだろう。金髪使ったあけおめツイートも評判よろしくなさげだし、やっぱり二度としないだろう。

 

地元の旧友たちと初詣に行って、もっぱらの話は誰々が結婚しただの、子どもができただの。もうそんな年齢にもなり、世間一般では結婚適齢期になってしまった。焦りはないけど、輪郭さえ認識できないほどぼやけた結婚というワードに虚しさを覚えた。みんな僕をおいてどんどん大人になってゆく。

 

2019年の抱負、意気込みでも書いとくか。
まず、このブログの更新かな。2018年後半はもうぴたっと更新止まって年末にも1個書くと宣言したにも関わらず書かずじまいで。
週1更新ペースで1年で50個を目標にやっていこう。
他には、芸術方面の教養をつけたいかな、と。音楽、絵、映画、読書、とか漫画やアニメも。インプットしまくりたい。人と話して大抵の話題は議論できるくらいには話題プール(話題のひきだし)を広げたい。関連してデザインの勉強もしたい。
あとは、鬱にならないことかな。精神的健常者で1年を走りきれたらいいな。

本当にあやしい"卒業すること"とは書かないでおく。

飲み物について

実家で暮らしていたときは水分補給の8割を母お手製の麦茶でまかなっていた。麦茶といえば、日本人の冷蔵庫内液体トップシェアを誇るどこの家庭にもある飲み物だろう。麦茶の良いところはその存在感の無さだと思う。食事の時は食卓の主役たちの邪魔をせず、喉が渇いているときは無理なく一気に飲める。麦茶は喉壁面摩擦抵抗が極端に小さくなる物質らしい。しかし、麦茶好きはあまりきかない少数派であることは事実で、麦茶はお茶界の影の王者なのかもしれない。


実家を離れればお茶製造担当の母がいなくなるわけだから、麦茶が飲みたければ自分で作るしかない。しかし、先にも言った通り麦茶が好きかと聞かれれば好きでもない。お茶を沸かすのはキッチンに立たねばねらぬし、いささか面倒だ。さて、どうしよう、と考えた時にひとつ気づいたことがある。

 

僕は別に麦茶が飲みたくて飲んでいたわけではなく、麦茶がそこにあり、水分補給として一番手っ取り早かったからだ、と。水でも良くないか、と。なんなら、水の方が味の主張がなく、理想的ではないか、と。

 

そういうわけで、僕の水分補給の9割は水になった。
大抵、僕のカバンの中には、いろはすクリスタルガイザーが身を潜めている。たまに、アルプスの天然水。

明確にこれが飲みたい、となって飲み物を飲むとき以外、つまり、純粋な水分補給では水で十分足りると思う。

 

たまには、清涼飲料水を飲みたくなる時もある。しかし、もっぱらコカ・コーラだ。しかも、ゼロ。赤コーラは黒コーラが無かったときの妥協策でしか飲まない。
黒コーラ派が僕の周りに圧倒的に少ないのは不思議で仕様がない。人工甘味料の味が苦手なのだろうか。踏み込んで議論していないので詳しいことは知らない。
僕から言わせてもらえば、赤コーラは甘過ぎる。甘いものは大好きだが、清涼飲料水の甘さは好きじゃない。甘さそのものではなく、口に含み喉を通ったあとも、口のなかに残る甘さとねっちょりした感じが嫌いだ。飲んだらうがいしたくなる。それに比べ黒コーラはスッキリしてるのがいい。
それと、黒コーラの方が炭酸も強い(気がする)。赤コーラが砂糖水に炭酸を加えてできたものなら、黒コーラは炭酸水に人工甘味料を加えてできたもの、みたいな感じ。

 

コーラと似て非なる黒い悪魔的な液体がこの世にもう1つある。コーヒーだ。コーヒーなしではもう生きられない身体になってしまった。
どちらも好きとなるとただのカフェイン中毒者なのかもしれない。

インド旅行について(入国編)

「デリーの現在の気温は30℃になります。日本との寒暖差で体調を崩さぬようご注意ください。」


暑さより寒さの方が苦手な僕からしたらインドの旅が快適になってくれそうな報告でもあった。何よりさっきまで2月の寒い日本にいたのだから寒さに困らされないのは嬉しい。よく聞きなれた画一化されたCAの機内アナウンスでとうとうインドに降り立ったことを実感する。CAの声は誰もが同じ様に聞こえてしまう。CA声色選別選手権があるとすれば僕はどうも1回戦敗退してしまいそうだ。

成田空港経由のデリー着だっため、乗客のほとんどが日本人、CAとも日本語で会話できたため、フライト中は異国の地へ向かっている実感というものはほとんどなかった。

日本デリー間、約11時間。半分以上を寝て過ごした。というのも、前日になって荷造りを初め深夜までかかり、搭乗当日は4時起きとほとんど寝れていなかったためである。前日ギリギリまで荷物の用意をしなかったのは僕の、後に後に症候群のせいもあるが、バックパッカーのバイブルとも言える『地球の歩き方』のせいで精神的余裕があったのも事実である。地球の歩き方曰く、「インドの旅に必要なのは健康的な体と前向きな心である、他のものは何でも現地で手に入る。再度言う、その二つさえあれば足りる」と。なるほど、そこまで言うなら大丈夫であろう、と思い、出国前日まで健康的な身体と精神を養うのに精一杯で物質的持ち物の用意はほったらかしにしていた。しかし、前日から荷造りを初めても意外と出来てしまうものである。


機内を出て、空港までの連絡通路を歩いてみると確かに寒くない。UNIQLOで購入したダウンジャケットもこの時には必要なくなった。

空港内に入るとインド人が歩いているではないか。それもたくさん。前にもインド人。横にもインド人。後ろにも。そこではもう日本人というよりかはマイノリティとして存在することになった。デリー空港は綺麗でトイレもトイレットペーパー完備でインドの玄関口として十分な機能を果たしていた。空港事態にインドらしさというものはなく、闊歩するインド人をすべて日本人に変えてしまえば成田の国際ターミナルと言われても疑わないくらいには整っていた。


さて、いざ入国審査を済ませて旅がスタートとなると思いきや、僕はひとつミスをおかしていて、スムーズには入国できなかったのである。そう、VISAの問題だ。ここでまた後に後に症候群が祟った。事前申告のVISAは2種類あり、ひとつは日本国内のインド大使館およびインド領事館にて取得するもの。もうひとつは短期間滞在者に限りネット申請ができるeVISAがある。一緒にインドに来てくれた旅の道連れ酒井は事前にeVISAで取得済なのでスムーズに入国審査完了。一方の僕は期限当日(入国4日前)に申請し、本来ならば申請完了後にくるはずのメールが来なかった。これはまさかと思いつつ出国前日になってもVISAの確認メールが届かない。ということで、VISA未取得のままインドの地を踏むことになってしまったのである。とはいっても、もうひとつ日本人限定でアライバルVISAという空港内で始めから最後までできてしまうVISAがありそのおかげで強制送還されることなく難無きを得た。申請の間、小一時間ほど酒井を待たせてしまって申し訳なく思いつつ、無事ディープな世界の表層にまでは足を踏み入れることができた。


1日目のホテルだけは予約してあったので、まずやることはホテルへ向かうことだった。
到着が夕刻ということもありホテルについて明日に向けて寝るという1日目は簡単質素なスケジュールになるはずであった。しかし、旅には不確定要素が付き物である、とはよく言ったもので、今回の旅もそううまくはことは運ばなかった。


僕らの旅は大まかな都市の目的地だけ決めてどこをどう観光するかはその場もしくは前日にでも決めようという至極適当旅でプランをたてていた。なので、1日目の宿の場所は決めてあっても、電車でいくのかバスでいくのか、はたまたトゥクトゥク(ミニタクシーのようなもの)でいくのか、その場で決めなければならなかった。空港内を少し散策してメトロの文字が見えたので僕らはメトロで宿のあるニューデリーへ向かうことにした。空港のすぐ外も別に共通認識で持っているようなインド感は全くなく、なんのカルチャーショックも受けることなくメトロの駅へとついてしまった。インドのメトロも日本と同様エスカレーターを降りて行きチケットを買いプラットホームで待つという具合だ。改札もしっかりある。ただひとつ違ったのがチケットが紙ではなくコイン型だということだ。ロサンゼルスに赴いた際もコイン型であったことを思いだし、世界的に見れば日本の紙型チケットの方が珍しいのかもしれない。メトロ車内は衛生的で日本と遜色なかった。

揺られること30分、僕たちはニューデリーに到着した。コイン型チケットを改札に投入し、いざ地上に出てみるとそこには僕の頭の中にあるインド像がそのまま僕らを出迎えてくれた。ぶつかるギリギリを行き交うトゥクトゥクやタクシー、鳴りやまないクラクション、路上に捨てられたスナック菓子の袋、ペットボトル、タバコ。そして人の多さ。それらは日本人からしたら異色の光景であるにも関わらず、どれもがそうあることがこの世界では正常なんだと主張しているようでもあった。交通整理が完璧なインド、ゴミが散乱してないインド、ミミズクの鳴き声が夜にこだまするインド、人通りの少ない閑静なインド、そんなものはないのだ。色々な雑踏が共鳴しあって目の前にひとつのインドという光景を作り上げていた。そして僕らはその雑踏の中へ、異分子としてその濃い空間の中へ足を踏み入れていった。


優しく話しかけてくるインド人には気をつけろ信用するな、現地人で観光客に気安く話しかけてくるやつはいない。どの観光ガイドブックにも載っている常套句である。僕も何度も聞かされて頭ではわかっているはずだった。しかし、世の中のすべての物事に言えることだが理論の理解と実践とは全くの別物である。旅の1日目からそれを痛感させられることになる。