眼鏡女子の魅力について

 俗に言う、メガネ萌えというやつだ。眼鏡は正義でコンタクトレンズは悪だ!眼鏡は視力補助の実用的役割に留まらず、ひとつのアクセサリーとしてその地位を確立している。公的な場でも身につけることが許される数少ない装飾品だ。そして眼鏡を身につけた瞬間、それはもはや装飾品ではなく顔の一部となる。
 僕が眼鏡萌えに目覚めたのは高校生くらいだっただろうか。思い返してみても確固たるきっかけがあったのかは曖昧で、いつの間にか眼鏡の虜にされていた。思うに、普段は眼鏡をかけない子がたまに眼鏡をかけたところを目にしてキュンとしてしまったのが沼への第一歩を踏み入れた瞬間だったのかもしれない。
 誰でも眼鏡を掛ければ萌え萌えキュンキュンしてしまうというわけではない。例え、美少女が眼鏡をかけたとしても(多分、美少女は何しても可愛いが)眼鏡萌えを発動するとは限らないし、逆にパッとしない子が眼鏡をかけた途端、僕的超絶美少女に大変身するということもある。眼鏡によるステータス値の倍率は人それぞれということだ。僕はそれを眼鏡ポテンシャルと読んでいる。
 もう5年以上も眼鏡女子に惹かれ続けていれば、眼鏡ポテンシャルを読みきることはそう難しくはない。「この人、眼鏡かけたらもっと輝けるのに...もったいない」などはよくあること。眼鏡地味女子高生が大学に入って化粧を覚えコンタクトにしてみたらキラキラしちゃいました、というのはよく聞く話だけど、コンタクトにはしなくていいのに!と僕は声を大にして言いたい。ただ、いつもコンタクトなのに合宿の夜とかに、普段は掛けない眼鏡でギャップを狙ってくる手口はとても巧妙で現代の諸葛亮のような策略。

 人生において眼鏡ポテンシャル最上級の女の子には3人ほどしか出会ったことがないが、ほんとに眼鏡を掛けていてくれてありがとうの一言に尽きた。 

 眼鏡フェチを世の男性諸君にもっと広めていきたい。眼鏡は素晴らしいぞ。

年下について

 年下の後輩、特に女子の後輩というものが存在しない青春を送ってきた、こじらせ男子のkawaiiは部活終わりに後輩に「kawaii先輩!今日もお疲れさまでした!」などと、眩しすぎて直視できないほどの笑顔で言われてみたかった。我が青春、一瞬たりとも輝き灯ることなく幕を下ろした。

 

 小学生までは年上年下の垣根はそれほど明確に立ちはだかることなく、仲がいいか否かそれだけで、単純明快だった。中学生になって初めて、先輩後輩関係という、礼儀を意識させられるシステムが導入された。礼儀を重んじる日本の良いところでもあるのかもしれないが、友人になる前にひとつ先輩後輩関係を挟まないといけないのは大変まどろっこしい。友人になれそうもない人でも、先輩だからという理由で愛想よく人間関係を良好に保っていかなければならないというのは大変まどろっこしい。敬語の文化もあまり好きになれない。もっとフランクな文化圏に憧れがある。英語圏のフランクさは人間関係の交流をきっと促進させている。しかし、敬語に助けられる場面もあるにはある。敬語は良くも悪くも人と人との心の距離を保つ働きをする。

 年下、後輩については、どちらかというと、否、圧倒的に先輩と仲良くなる方が簡単だと思っている。僕は後輩との関係を築くのが苦手だ。中高大すべて一貫して。大学で仲のいい後輩を挙げて、と言われても数人しか出てこない。

 なぜ、先輩の方が仲良くなりやすいか考えたことがある。まず、立場として後輩である僕はチャレンジャーなのである。先輩からしたら、面白くなかったら簡単に見切りをつけられる。僕はこれだけ仲良くなりたいんですよ、これだけ面白いことできますよ、と売り込んで、先輩に気に入られるのを待つだけだ。そして経験上、自分から仲良くなろうと近づいていけば、あしらって来る先輩に出会ったことはない。敬語の存在も大きい。はじめは敬語を使うことで相手との距離が測りやすく、いつ詰めればいいのかの判断もしやすい。敬語を使うことで素の自分を出さずに、よそ行きの自分で様子見することもできる。

 対後輩で一番苦手とするのは、相手が気を遣っているなと感じてしまうところだ。気を遣っていると気づかれた時点で相手にも気を遣わせてしまうというのは習わなかったのか。そしてこっちが気を遣えば、相手は余計に、と悪い方向に流れていく。いきなりグイグイ来られるのは話が違うが、いつまでも気を遣いっぱなしでは、そこまでの関係にしかなれない。結局、後輩とは気を遣い合ってしまい上手く仲良くなれないのだと思う。先輩に対しては、最初こそ気を遣うものの、あとは捨て身で売り込むだけなので終始気を遣う必要はないし、先輩の方も気を遣ってくることはないから、関係が楽だ。

 以上が先輩とは仲いいのに後輩とはそうでもない僕の内的要因であるが、大学のサークルによる外的要因もある。入学したての一回生たちには後輩はいないので、同級生か先輩と仲良くなる。1年経って、後輩が入ってきても、まだ仲良くない後輩と遊ぶより先輩や同級生と遊ぶ方が楽しいのでそっちで遊ぶ。中高と違って、大学は4年(+院)と長いので、先輩がすぐに卒業することもない。結局、同じメンバーで遊んで後輩とは疎遠に。というのが、僕らのサークルの現状。

 後輩という関係よりもっと下の子。赤ちゃん〜小学生くらいまでの子供にはフランクすぎるくらいに接することができる。弟と年が離れているので、そのへんの年頃の子供の扱いには慣れている。電車で赤子をみれば、母親に気づかれぬよう変顔で笑わせてやり、レジャー施設で遊ぶ少年いれば、話しかけてやる。一見、変なおじさんに見えるが、実際子供達からしたら変なおじさんなのだろうが、子供たちの反応が新鮮で楽しいのでやめられない。なんだこいつ!と言わんばかりの顔で逃げていく子もいれば、気さくに話してくれる子もいる。友人にも「子供好きだよね」と言われ続けてきたので、この前、誰かと僕が子供好きという話をしたら「絶対嘘、ありえない」と断言された時には驚いた。みんな知っているものだと思っていたよ。

起床について

 有名な物理法則に慣性の法則というものがあって、それは起床時にも例外ではない。少し前まで寝ていた人間はそのまま寝続けようとする。それに加え、朝方は布団との万有引力が距離の2乗に反比例せず、通常時より大きくなることも知られている。小さな妖精がまぶたを無理やり下ろそうとしてくるという報告もある。お互いこのままではよくないと思ってるのに別れを切り出せずにいるカップルみたいに、布団との関係もズルズルと続いて起きられないのは万国共通だ。
 そこで、朝という貴重な時間を搾取する布団との戦いに終止符を打つべく、僕は作戦を立てた。題して、第二布団速度実現プロジェクト。到達目標は二度寝せずに完全覚醒すること。目覚まし単体ごときでは太刀打ちできないのはわかっているので、目覚ましで目を覚ました後、プラスαで完全覚醒する必要がある。それで、簡単に思い付く方法から実行してみた。


案その1~日光浴法~

 朝、日の光を浴びることで目が覚めるといういたってシンプルな方法。準備は夜寝る前にカーテンを開けておくだけ。朝になれば日が差し込んできて起きられる。
 いざ、実行してみると、目覚ましを7時にセットしていたのに、日の出はもっと早く6時過ぎには目覚めてしまった。まだ少し寝れるなと思い二度寝し、目覚ましを無視し失敗に終わる。日の出の時刻まで制御することは不可能。


案その2~日光浴法(改)~
 カーテンを開けたままだと日の出の時刻に強制目覚ましという事態が起きてしまう可能性があるから、ならば、起きて日光浴すればいいじゃないか。ということで、改良点はカーテンは閉めたまま眠り、朝、目覚ましで起きたらカーテンを開けて日光を取り込む。
 目覚ましの音で7時に目が覚め、気力を振り絞って手を伸ばしカーテンを開ける。が、しかし、日光に瞬間的な覚醒作用がないので、布団に引きずり戻され敢えなく失敗。


案その3~ストレッチ法~
 朝起きてストレッチをすることで血の巡りを良くしスッキリ起きようということだ。
 布団の上でストレッチしているうちに眠くなってそのまま倒れて失敗。


案その4~朝ニコチン法~
 ニコチンを吸入することで無理やり血流を早くし覚醒へもっていく作戦。寝る前に枕元にiQOSをおいて準備万端。ここで、紙煙草では外に出ないといけないため、布団の上でそのまま吸えるiQOSを選択。
 7時に起床し、間髪いれずにヒートスティックを差し込み電源をONに。20秒の加熱待機で寝落ちしそうになりながらも、寝ぼけながらニコチンの吸引に成功した。が、確かに覚醒はしたんだけど、頭くらくらするし、負担が大きい。体に悪いって警告が体から発せられているようなのでこれは使えない。


案その5~マウスウォッシュ法~
 結果から言おう。これが今最も確実な起床法である。マウスウォッシュとは洗口液のことである。刺激の強めな洗口液を使う。僕はリステリン使用。
 起きて洗面所へ行き、洗口液で口を濯ぎ、目が覚める。刺激が強いものを使えば瞬間的に覚醒できる。ルーティーンとしても簡単である。口の中に刺激物を含めば大体目が覚める理論である。これで9割起きれるようになった。残りの1割は、洗面所まで行く気力が足りなかった時である。

 これを書いている現在2時前なので、起床法を説いておきながら、明日の朝は起きれそうもない。

生活について

 生活、つまり生きる活動である。それが生きる"ための"活動なのか、生きた"結果の"活動なのか、生きる"のをより良くする"活動なのか、生活の定義は十人十色である。一般に生活と言えば、毎日繰り返される日々の生き方ととられられる。その積み重ねが人生となるのだから、生活を少しでも良くしようと考えるのは自然な流れである。また、生活が荒めばその人の心も荒む。心が荒んで生活が堕落する場合もある。逆に、生活が豊かになれば心にも余裕ができる。この場合の豊かさは必ずしも物質的な豊かさではない。
 大学生になったら親元を離れ一人暮らしを始めたので僕の生活は一変した。それまで、家に帰れば誰か家族が出迎えてくれ、時間になれば食事が出され、何もせずとも部屋は綺麗な状態を保たれていた。一人暮らしというのは"生活力"が必要なのだと始めてわかった。ここで言う生活力とは、面倒だが生きていく上でしなくてはならないことをうまくやっていく力とでも解釈してほしい。掃除、洗濯、自炊、食器洗い、日用品の買い物、今まで実家でやってこなかった事をすべて一気に課せられたのだ。生きるのはとてもめんどくさい。ただ3年間も一人で暮らしていれば生存最低限のことはこなせるようになった。
 僕なりに生活をより良くするために必要かつ重要なものが3つある(本当はもうひとつ一番重要なことがあるがここでは伏せておく、出し惜しみとかではなく場に相応しくないので)。適度な運動、きちんとした食事、十分な睡眠。とても当たり前のことだ。しかし、今を生きる大学生は遊びやらバイトやら勉強やらでその3つを満たす生活を送れてる人は多くはないはずだ。この3つが出来ているからといってスーパーマンになれるわけではない。マイナスがプラマイゼロに戻るだけだ。しかし少なくとも、その死んだ魚のような目からは卒業できるだろう。
 3つの中でも最も難しいであろうきちんとした食事について。大学入学前は未だ見ぬ単身生活に心踊らせ、自炊マスターにでもなってやる、と意気込んでいたのが懐かしい。3年間、生活してみてフライパンの使用は十数回、最も使われているのは断トツでコップと箸である。一時期は洗い物もめんどくさく、紙コップと割り箸を使っていた時期もあった。つまり、自炊などほとんどしていない。それでも2年生までは気が向いたら自炊してみたりもしていたが、今では完璧に自炊しないと決めた。作るのもめんどくさい、何を作るか決めるのですらめんどくさい。現在、朝晩はもう固定メニューを決めていて悩む必要はない。あとは昼だけなのだが、昼も解決策になりそうなものを見つけたので試行段階にある。毎日同じものを食べてて体に良くないのでは、という疑問も残ったが、即席麺やコンビニ弁当などのいかにも体に悪いものを食べている訳ではないし、そういうものばかり食べている人でも生きていけているんだから大丈夫だろうと、言い聞かせている。また食事事態は好きだが毎回の食事に楽しみを見いだす必要はないと考えているため、食事楽しみ回以外は栄養補給作業と思って遂行している。ただ、食べたいものがある時は欲求に従って食べたいものを食べている、呼ばれればラーメンでもハンバーグでも。
 ある映画で生活の本質を気づかされた。毎日の生活に刺激を求めていた僕には逆説的でとても衝撃的だった。それは、毎日の生活を毎回同じように生きる、ということだ。新たな刺激がある日々を求めて生活するのとは真逆のことをしろ、と。毎日同じように生きれば一見単調になるように思われるし、単調になる瞬間もあるだろう。しかし、毎日同じように生きれば、同じように生きてきた過去の日との違い、今日の特別性がはっきり認識できる。一日単位で特別な日ではなくて、その特別な瞬間を見逃さず感じることができるようになる。
 この先、死ぬまで生活は続くのだから考えて生活しようということ。
 

煙草について

 煙草は百害あって一利無し、なんて言葉はよく言われているがこれは間違いである。一利くらいはある。そして百害以上ある。

 僕は昔から一貫して嫌煙家であった。物心ついた頃には煙草など一生吸わないと心に決めていたし、近くで煙草を吸われるのも嫌がるほどだった。家族の中では父だけが喫煙者だった。僕が小さい頃は換気扇の下での一服を許されていたが、いつの間にか玄関前に降格していた。冬になればわざわざ寒い中、外に出て煙草を吸いに行くなんて頭おかしいのでは、と思っていた。非喫煙者からしたら、何故わざわざ身体に悪いことを進んでするのか理解できなかった。しかし、世の中の大抵のことはやってみて初めて理解できるか否か判断できるもので、喫煙を禁止されている未成年だった僕が理解できないのは当然のことだった。

 この文章を書いている現在、僕は禁煙中だ。未だニコチンの中毒性も感じないし、禁断症状も出てない。禁煙継続約三時間ほどだ。つまり、まだ煙草を止める気はない。

 喫煙歴は未だ浅く半年くらいだ。人間の決意など思春期の女の子の心のように移ろいやすく、状況が変われば簡単に変わってしまうものである。煙草は吸わないと決めていた僕もいつの間にか一人前の喫煙者になっていた。きっかけは、世界に絶望して自分が嫌で嫌で仕方なくなった時、隣で煙草を吸う友人に一本貰ったことだ。煙草一本ごときで世界の終わりが終わることもなく、絶望の淵に立たされていたことには何の変わりもなかったが、不思議とほんの少しだけ気持ちが楽になった。ニコチンによる生理的なこともあるだろうが、今までなら煙草を吸わないだろう自分、過去の嫌で仕方ない自分から少しでも離れられた心理的こともあっただろう。煙で肺を満たす数分だけは絶望から逃れることができた。悪く言えば煙草に逃げたということになる。それ以来止めるきっかけもなく常習犯となっている。

 「煙草おいしいの?」などと訊いてくるのは愚問である。不味ければとっくに止めている。一日の始めの一本目は格別である。口から気管を経由して肺に煙が行き渡る。ニコチンが肺から吸収され身体中に浸透してゆく。血流が速くなり血管の収縮を身体で感じる。頭に血液が輸送されクリアになっていく。ハイになる一方で精神的安定も感じる。身体に悪いことは百も承知だが、今この瞬間を煙草でギアチェンジできるなら構わない。

 喫煙するようになってから、煙草を吸う女性への拒否感もなくなった。綺麗な女性が煙草を吸っているところに遭遇したら、今までなら「美人なのにもったいない」と思っていたのが、今なら「かっこええなぁ」なんて思ってしまう。フィルターについた口紅など世の中で最もエロティックな物のひとつだ。

 就職したら煙草とは決別するつもりだ。恐らく業務中は一服することを許されないだろうし、吸えて昼休憩だけとなると、もう止めてしまった方がいい気がするからだ。だから、あと三年は身体のことは気にせず嗜好品を嗜もうと思う。ただ、吸わないで済むなら吸わない方が絶対にいいので、お勧めはしない。

笑い上戸について

 笑い上戸、またゲラとも言う。笑い上戸の人が好きだ。会話に笑いがあるだけで心も軽やかになるし、場の雰囲気も変わってくる。笑いは伝染するので、相手が笑えばこっちも笑う。一緒にいて楽しいし、何を言っても笑ってくれるので自分も面白くなった気にさせてくれる。逆に笑わせる気でいたのに手応えが悪ければ、あぁ今の話は面白くなかったのか、他の人に話すときはもう少し工夫しよう、と思える。

 つい最近、人によって話題がすんなり出てくる人とそうでない人がいるのは何故だろう、と考えた時があった。それで一つの要因として挙がったのが、相手がゲラかそうでないか、である。笑いのハードルが低ければ、話し手も気楽に話せる。話題の幅も広がり、どうでもよいことでも話そうという気になれる。これがあまり笑わない人相手だと、この人は僕と話していて楽しいのだろうか、と思ってしまい、結果、取るに足らない話題は話しにくくなり、話題がなくなる。相手からの反応にも不安がある。「へー、そうなんだ」で終わらされてしまったら、もうライフはゼロだ。話すことを諦め、聞きに徹するしか道はなくなる。話し上手の人なら相手を選ばず話せるのだろうけど、生憎、僕は話し下手だ。気分が最高潮の時しか、会話回路フル回転までもっていけない。

 友人曰く、僕も割とゲラらしい。確かに昔と比べれば笑うようにはなったが、多分それは周りの友人たちが面白いからだろう。笑いの沸点が低いのでしょうもないことでも笑ってしまう。むしろ、しょうもなければしょうもないほど笑ってしまう。

 小学生高学年から中学生までの時代は、僕にとっての暗黒時代であり、親しい友人と話す時以外はほとんど笑わなかった。小学生高学年という多感な時期のこと。クラス替えが行われたら毎年の恒例で自己紹介カードを書く。そこには先生が撮った写真も載せられる。写真を撮る際、笑ってと言われるのは世の常で、僕も凝り固まった表情筋に喝をいれ笑顔を作った。自己紹介カード作成時、クラスメイトとちょっとした口論になり、僕の笑顔に文句をつけてきた。それ以来、「僕は笑わないほうがいいのか」と笑顔を作ることを躊躇うようになった。周りからはクールキャラとして見られるようになったが、ただ素直に笑えなくなっただけだった。変われたのは高校生になってからだった。高校では友人の感じもガラッと変わり、阿呆ばかりで、笑わないわけにはいかなかった。自分も阿呆になればなるほど笑いが起こる。モラル?倫理?そんなものかなぐり捨てて、面白さこそが正義だった。面白ければ周りの目など、どうでもよい、という考え方になり、そこでクールキャラは卒業した。高校時代がなければ今の僕もないといってもいい。

 誰かと話してて、「こういう時どんな顔すればいいかわからないの」と思っている人、

「笑えばいいと思うよ」

 

心の拠り所について

 僕は弱い人間だ。年を重ねるごとに肉体も精神も弱体化していっている。中高生時代の無双感は一体何だったのだろうか。あの頃は何でもできてしまうような、自分は他とは違うのだと本気で思っていた。膨れ上がりすぎた自尊心のせいだったのかもしれない。大きくなりすぎた実体のない自尊心も人生の難所を乗り越えることで人並みには萎んでいったと思われる。では、仮初めの自尊心で手に入れた仮初めの強い心が、その仮初めの自尊心を失ったらどうなるか。なにも残らないのだよ。そこで初めて自分は特別でない村人Aにすぎないと気づかされる。主人公気取りで10年以上プレイしてきた人生が実は村人の虚栄だったことを受け入れるまでには時間がかかった。

 そんな弱い村人目線で、心の拠り所と強さに関して考えてみる。

 現代のストレス社会を心の拠り所も持たず、淡々と生き続けるのには無理がある。日々の疲れ、鬱憤を癒してくれるもの、煩わしい種々のことを忘れさせてくれるものが必要だ。

 まず、心の拠り所の定義から。心の支えになるもの、癒し慰めてくれるもの。人それぞれに心の拠り所が存在するはずだ。家族なのかもしれないし、恋人や配偶者なのかもしれない。または、自分の夢であったり、趣味であったり。弱さにつながる心の拠り所がこの中にもある。それは他者を拠り所とするのにウエイトを置きすぎることだ。他者を心の支えにするのは比較的簡単に出来てしまうし、人との相互作用なので他のものと比べて満たされやすい。しかし、他者はいつまでも側にはいてくれない。いなくなる日が来る。突然何の準備もなくいなくなって、一番の拠り所を失った人間には頼るべき拠り所もなく、待っているのは絶望だ。恋人を例にとってみても、どっぷりと心を委ねている時に破局でもしたら、世界が終わったとまで感じさせてしまうくらいには危うい。この危うさが弱さにつながる。絶望的な状況にこそ安定的な心の拠り所が必要だ。

 他者に頼るのではなく、自分の内側に心の拠り所となるものを用意しておくことが重要だ。打ちひしがれた時も、夢があれば頑張れるのでは。夢の実現にたゆまぬ努力をしていれば、「自分の人生にはまだ夢が残されている」と絶望することはないだろう。今まで努力してきたという自負も力強い助けになるだろう。趣味でもなんでもいい。自分の人生に残っていると言えるものを作っておくべきだ。また、自己完結すれば誰に迷惑をかけることもない。他者を心の拠り所にすることは、少なからず相手を利用してしまっている気がする。

 今回言いたいことは、他者に頼りすぎるなということだ。自分の中に硬い芯を持っていれば絶望にも耐えうる強さになる。絶望してから代わりの拠り所を探し始めても、もう手遅れなのだ。